8月20日

 時差のせいか、旅の始まりの高揚感からか、早朝4時くらいから目が覚めてもう眠れない。数時間しか眠れなかった。仕方がないので、昨日買い残した食料を、24時間営業のスーパーに買いに行くことにする。アンカレッジの街はまだほの暗い。
 その後、午前10時発の鉄道にもまだ時間がある為、近くのシェラトンホテルでゆっくり朝食ビュッフェ。都会の食事もこれでおさらばであると、ゆうに2、3人前の朝食をとる。トーストや、サニーサイドアップやら、ベーコン、ポテト、ソーセージ、フルーツ各種、オレンジシュース。モーニングコーヒー。見渡すと、ホテルのロビーは、ルイヴィトンをさげた中国人観光客ばかりである。アラスカにもすっかり裕福になった中国人観光客が増えたなあ。裕福になったばかりの日本人もまさにかつて、今の高度成長をしている中国人のようであったのだろうと思う。ブランドもののバックを手に持って、最新のデジタルカメラで武装して、初めての世界旅行に出かけていったのだ。今の彼らには世界のすべてが、その貪欲な消費意欲の対象なのだろうと思う。かつての日本人がそうであったように。それは、アラスカの自然ももちろん例外ではない。チャーターセスナでマッキンリーを眺め、観光バスで何処までへも乗り付けてゆくのである。
 モーテルに戻り、時間に合わせて駅に移動する。食料を加えた後、正確な目方はわからないが、僕の荷物はざっと65キロ以上はあるだろうか?モーテルから鉄道駅まで移動するのも一人では一苦労。そりゃそうである。僕は自分の衣類の他に、撮影機材、住まい(テント、タープ、寝袋、寝袋カバー、防寒マット)、食料(3週間分)、移動手段(カヤック、パドル)いっさいがっさいを持ち歩いているのだから。ちょっとした引っ越しといえなくもない。鉄道駅待合室のほとんどが、極めて真っ当なツアー家族旅行者風の人々であり、その中で僕だけなんだかひとり、異様な旅行者である。どこか、思いつめ、緊張しているような人はもちろん見当たらない。
 その昔、といってもたかだか5、6年前だけれど、チベットでスキューバダイビングのセット一式と、小型モーターボードのエンジンを担ぎながら旅行していたコロンビア人に会った事がある。なんでもチベットに点在する蒼い湖でスキューバをする為にここまできたと言っていたのが、まだ鉄道が走るまえのチベットで、そんな大荷物を抱えて1000キロ以上あるラサへの交通手段を探すのはとても大変であった。ゴルムドというその街で、ふとしたきっかけで話し始めた縁から、成り行きで一緒にバスを探していたのだが、大幅な追加料金を支払わなければ、誰も彼の大荷物を積み込んで、標高5000メートルの峠をいくつも超えてゆくラサへの道を走りたがらない。コロンビアからボンベやらレギュレイターやら、小型エンジンまで抱えて、ここまで来た彼の道程を思うと頭が下がる思いであったが、同時に少し滑稽にも僕の目には映った。自分の荷物の多さで自分自身大変な思いをしながら、遠く異国を旅行するという事は、どこか滑稽ではなかろうか。「ゲンターロ、ちょっとそっと側を持ってくれ、オーケー、ヤーヤー、サンキュー、アリガート、アリガート、ヤーヤーそいつも持ってくれ。」
 当時の僕の荷物は自分で背負えるリュックサック一つきりで、荷物が多くて不自由な旅行者にはなりたくないと思っていたものだ。そのリュック一つの中に、必要なものは全部入っていたのだ。それが自由というもので、その軽さこそが自由であることの象徴でもあったのだ。荷物は軽ければ、軽いほどいい。軽ければ軽いほど、自由そのものの強度が強まっていくものだと。
 けれど今はどうだろう。あのときのコロンビア人と今の僕では本当に大差がない。少しの距離を移動するにも、あくせくして、ふうふうしてしまう。あのころの身軽さがほとほとなつかしい。カメラだってポケットに入るようなものばかりを使っていたのだ。それにしてもその後、あのコロンビア人は無事、蒼き湖の水中世界を堪能できたのであろうか?結局、彼と一緒だと永遠に、ラサまで着かない気がして、僕はひとりラサまでの闇バスをつかまえた。リュックひとつの荷物が功を奏して。考えてみれば、なんだかチベットでスキューバなんて、とてもロマンチックで変態的で、そこにはすごい世界がありそうである。あんなに苦労していたものな。あの屈強なコロンビアからやってきたダイバーの彼は、、、、、。
 アンカレッジを出発した列車は、原始の状態に近い湿地帯を快調に進んでいく。その名も「グレイシャーエクスプレス」である。北はフェアバンクスから南はスワードまで、約750キロの原野を走るアラスカ鉄道は、観光客に人気の路線である為、今日も乗客でいっぱいである。アンカレッジ、ウィティアー片道150ドル。約2時間。
 正午過ぎ、氷河カヤック旅行の玄関であり、人が暮らす最後の街ウィティアーに到着。すでに山肌に氷河を頂いた山々に囲まれた、小さな小さな港町である。今日は、町外れにあるキャンプ場に移動して、いろいろな道具の最終点検やら、天気予報やら、目的地への聞込み調査でもしようと思う。鉄道駅から眺めるに海上ではかなり強い東風が吹いていて、少し不安になるが港湾局で聞いてみると、天気は晴れのまま4、5日続くだろうとのこと。できるだけすぐに出発出艇したいものである。
 今晩は、街のすぐ背後にある山裾の小川の横でテント泊することに。鉄道駅から、天然のキャンプ場まで移動してくるのも、またしても荷物が多くて一苦労。寝不足のせいで、久しぶりのマイスモールテントに潜り込むと眠ってしまいそうになる。米を炊き、明日の力の為の夕食を早めに済ませる。米、スモークサーモンとみそ汁の夕飯。この3点セットの夕食がしばらく続くだろう。鮭と、みそ汁と、米。なんだかまるで日本にいる時みたいだが、この3つが僕のエネルギーの源を為すものなのだ。遠くで僕を待ち受ける氷河に向かう為のエネルギーに変わるものなのである。

  氷河日記  
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