8月24日

 雨は一晩中降り続け、僕は浅い眠りの中、外の闇が徐々に白んでゆくのをテントの中で感じていた。テントのジッパーを開けて、灰色の雲に覆われた世界を仰向けに眺める。ビニールシートのタープを雨が規則ただしく打ち続ける。タープを打つ雨の音が僕を憂鬱にさせる。
 食パンに杏ジャムとゆでておいた卵、バナナとコーヒーの朝ご飯をとる。読みかけの単行本を手に取るも、氷河撮影のファーストタッチが未だうまく行っていない為、活字に意識を集中できない。仕方なく、テント周辺をレインジャケットを着て散策することにする。背後にそびえる山から流れ出る、雪解け水の流れをつたって上流へと歩く。雨がこれだけ降りしきる中、山々が集めた水の流れは凄まじく、轟音は地鳴りのようである。水は手がしびれほどに冷たく、白濁した流れを両手ですくってみると、水は完璧に澄んでいる。
 岩場が険しくて、行く手をすぐに阻まれて、雨の中のトレッキングは来た道をさっそく引き返す事となる。じっとしてられずにテントを這い出してきたはいいが、靴下まで濡れそびるほどに履いているブーツがびしょびしょである。けれど、遠く対岸の山々の上を灰色の雲が流れてゆくのを見るにつけ、なんだか天気は回復しつつあるようでもある。次第に雲の隙間からは、白い空がかすかにのぞいてきた。午後からは晴れないまでも雨がやみそうな気がしてきた。
 テントに戻り、昼食をとって氷河へ再アタックの準備をすることにする。パスタをゆでてアンチョビの缶詰をかける、いつもの昼ご飯。デザートにハーシーチョコレート。降り続いた雨はようやく止み始めてきた。太陽さえ顔をのぞかせる。急いでウエットスーツを着て、撮影機材をカヤックに積み込む。
 Black Stone氷河のブラックストーンという名前の由来は、その横に見える玄武岩質の岩肌が真っ黒だから付けられた名前なのだろうと思う。アメリカ人らしい単純な名前ではある。しかし、ブラックストーン氷河が流れ出すブラックストーン湾は、とてもとても美しい場所である。北隣にあるノースランド氷河からもまっすぐに全長50メートルはあろうかという、滝が2本流れ込み、氷河や滝の白と岩肌の黒のコントラストが何とも壮麗である。
 日本でも滝は元来、エネルギーの満ちる場所として、修業の場として信仰の場としても機能しているが、ここブラックストーンもまた大自然の中で様々な方向からのエネルギーが集まる場所である。絶えずブラックストーン氷河は、氷塊を落とし続け、滝は一本の筋として、氷河の下を循環する水を放出し続ける。鳥たちもそんな気の満ちる場所を好むのだろうか?東面の岩肌にはたくさんの鳥が巣を作っているのが見える。
 昨日と同じように約3キロほどの距離をキャンプ地から漕ぎだす。昨日の悪天候とは大違いの曇り空。景色の様々がよく見える。若干筋肉に張りのある腕を、ゆっくりゆっくりほぐしてゆく。ブラックストーン湾を大きく北面に回り込み、氷壁の青が圧縮して凝固しているように見える部分へと、近づいてゆく。あたりにはもちろん誰もいない。巨神のような氷壁とひとり対峙する。僕は、ドンキホーテである。ロシナンテの代わりにカヤックに乗り込み、槍を大判カメラに持ち替えて、巨大な風車たる氷河にむかうドンキホーテそのものではないか。
 腹に力を据えるが、近づくほどに迫力を増す氷河のエネルギーの存在感に圧倒される。最悪の事態を想像して、それでも死ぬ事はないと思う。中途半端が一番悪い。観念して氷壁の麓まで近づく。下から眺め見る氷河は、日常のサイズ感を著しく逸脱していて、もはやこの世のものとは思えない。光は逆光。矢継ぎ早に10カットほどを撮影して、カヤックパドルバック。ヒットアンドアウェイ。
 真近で見る海岸氷河の断面は、やはりとても美しい。それらを写真に写す事自体、疑問に思うほどにだ。はかなさと暴力性を同居させた美しさである。刻一刻と近づくほどにその表情を変えてゆく氷の壁は、やはり近づくことの写真的な命題を内包したモチーフである。そしてそれら太古の時間をかけて形成された造形を、自然は容赦なく破壊し、目の前で消滅させる。氷という宿命的に消滅してゆくものの中に、写真はやはりどうしようもなく美を発見していくであろう。ああけれど、その懐に飛び込んだ時にみせる氷河の美しさに魅とれ続けることは、なんともなんともとても危険なことである。かつて、パイプラインを追いかけてアラスカを縦断しながら旅していた時、誤解を恐れずに言えば、僕はまだアラスカという大自然の土地でも、パイプラインを辿りながら、都市の延長たる場所を旅していた。パイプラインという人工物は、それが北極海に面した北極圏の地の果てであれ、「都市的」な物の中に居続けることを保証してくれるものでもあったのだ。けれど、同じアラスカという場所でありながら氷河というモチーフが、撮影者である僕に求めてくることは、どうしようもなく自然の中にはいってゆくことである。自然の中に入り、その中から言葉や想像が追いつかない自然の神聖な姿をもぎ取ってくる事である。いや、僕には、まだわからない。どんな命題を抱えているのだろう。わからないままに旅をつづけたい。僕自身さえも自分の写真に、何がしかのものを教えてもらいたいのだ。
 とりあえずひとつ撮影できた事で、胸をなで下ろし、野営地に戻る。朝までずっと不安にさいなまれていたのに、この遠征の見通しが見えた気にさえ少しなる。自分の気持ち連動するかのように、太陽さえ顔をのぞかせる。つまり自然とはこういうことなのだ。こうしてどうしようもなく一人でいる自身の内面に連動してしまうことなのだ。今朝までの雨降りですっかり濡れそびった持ち物を、太陽光に当ててできるだけ乾かす。午後の3時過ぎ。なんだか昨晩も夜中の雨で起こされたせいで、眠い。太陽の下、僕もマットに寝転がり充電。

  氷河日記