8月26日

 今日も移動日。天気は曇り時々霧雨。風弱し。ハックの助言通り、一旦ウィティアーの街に戻ることにする。体は毎日のパドルワークで勢いがつき、もちろん疲労感はあるがすこぶる調子はいい。けれど、ハリマンフィヨルドまでの行程を考えると食料に不安があるのと、一旦街で体勢を立て直し再出発するだけの日程の余裕もある。なにも焦る事はない。それにたかだか4、5日だけなのになんとなく街が恋しくもあった。人の姿が恋しくもあった。そしてなにより、ウィティアーにはビールがある。パドリングで疲れた体に、アラスカンアンバービールを流し込むのだ。街に一件だけある中華レストランに入り、残りの食料の事は考えずに、温かい夕食を腹一杯食べて、野生動物におびえずに今晩はゆっくりと街で眠ろう。
 ひとりきりで原野の景色の中をゆったりと漕いでゆく事。それはとても贅沢なことであると思う。孤独感や身体のしんどさは、この野生の中に身を置く事の貴重さを考えたら、たいしたことでは全然ない。荒野の景色に身を置く事は、本来人間の精神にとても大切なものなのである。大切であるというよりも僕らの精神や意識は、このたゆたく流れる水の変容のありようや、ひっそりとけれど無限の生と死を循環させる、原始の森の中から間違いなく産まれてきたものである。海辺にせりだす様々な植物たちが共生している深淵な森の姿。滝となり、海のうねりとなり、さざれ雲として空を流れてゆく水の変容。それらは僕の精神の有り様を目の前に現出させたものであるようだった。
 街が近づくにつれて、すれ違う船やボートの数が増えてくる。大型の船のディーゼルエンジンのぽっぽっぽっぽという音が耳に心地がよい。そんな船のゆっくり進んでゆく姿はなんとも優雅なものである。船の竜骨が左右に水を押し出してゆくその姿を、漕ぐ手を休めぼんやり見つめる。挨拶するようにパドルを大きく船に向けて、振ってみたりする。
 それに比べて、小型船や小型ボートのけたたましい4サイクルのエンジン音は、なんとも自然の中にはそぐわない。はるか遠方からけたたましい高音と共にやってきて、激しく海面を乱しながら、一瞬で過ぎ去ってゆく。HONDAやYAMAHAのエンジンを搭載したそれらの小型のボートはそしてとても速い。もしそんなエンジン付きのボートに乗れば、僕が4、5日かけて往復している距離などは、ものの数時間で移動してしまえるのだろう。ときどきひもでカヤックをくくって街まで連れて行ってほしい気もする。そしたらさぞかし楽チンだろう。けれど、すべての旅のプロセスが大切なのだと自分に言い聞かせる。パドルする一漕ぎ一漕ぎ、雨があがるのを待つ時間、星を見ながら野営する時間、そのどれもが氷河の写真を撮るために欠かせないプロセスなのだ。ただ撮ればいいというだけではない。どこまで自分しかできないものを見つけて、どこまでその一見くだらなそうに思えることを白痴のようにこだわれるかがきっと重要なのではないだろうか?
 ひたすら西に向けて進む僕の艇に、本日の風うねりは友好的である。予定していたよりも早くウィティアーの街は、山陰にその姿を現す。久しぶりに見る街の姿は、周りの雄大な荒涼峰に比べてなんとも薄汚れみすぼらしい気がする。僕の意識の方が、自然の中で浄化されたに違いない。たかだか4、5日だけのことなのに。改めてカヤックからの視線は不思議なものであるなあと思う、街よりも低い視線、人間が暮らす場所よりも低い場所を移動してゆく視線。
 港の隅にカヤックを接岸して、荷物を運び出す。町外れのランドリーマットで生乾きの衣類を乾燥機にかける。港湾局で天気予報を聞く。日用雑貨点で食料の買い出しをすませる。あてもなく、街をそぞろ歩く。なんとなく、一刻も早くまた無人の荒野に飛び出したい気持ちにかられてしまう。街に今、僕の興味は全くなかった。
 夕方5時、少し夕食には早いけれど街で唯一の中華レストラン「China Sea」へ向かう。数日毎日同じメニュー、スモークサーモン、米、みそ汁の夕食を取っていたため、レストランのメニューの中から食べたいものを選ぶのにひどく苦労する。とりあえず、麻婆豆腐、青椒肉絲、エビチリソース炒めなどを頼む。五臓六腑の隅々にアンバービールが染み渡る。窓から港の景色を眺めながら、ゆっくり街の夕食を味わう。自然の中で味わう料理もおいしいが、誰かに作ってもらったテーブルでとる食事だってもちろんすばらしいものである。レストランのサーバーをしている同じ歳頃の韓国人のお兄ちゃんが、いろいろと接客の合間に話相手になってくれる。彼は、夏の間家族経営しているレストランの店番をしているようだった。早くシーズンが終わり、ソウルに帰りたいと言っていた。僕が、毎年暖かくなってキャンプできるシーズンの度に、ここアラスカに来ているというと、毎年?信じられない、ここには何もないじゃあないかと言っていた。たしかに彼の言う通りだ。東京やソウルにあるものが本当にここにはなにもない。

  氷河日記