8月28日

 薄明かりの早朝に目覚めると、小川の水で顔を洗う。顔が麻痺するかと思うほどに冷たい。霧雨の中とぼとぼと港に歩いていき、フィヨルドの様子を見にいく。少し東風が吹いているようだ。なんとか出発できるだろうか?
 テントを撤収し、パッキングして港に移動。港の隅っこで漁船や帆船たちの影に隠れ、ぽつんと停泊させていたボイジャー415に荷物を積載する。港に隣接したログハウスのカフェでカフェラテを頼む。あとは、乗り込んで漕ぎだしてゆくだけなのだが、なんとなく気持ちがぐずぐずしている。これから、往復で100マイル(160キロメートル)以上、撮影を入れると10日くらいはかかるだろう場所まで漕ぎ入出ることを考えると、なんとなく気持ちがすくむ。こんな時一人旅は、大変だ。自分で自分の背中を押さなければならない。もちろん誰に言われてこんなことをしているわけでもないわけだし。やめて帰ったって誰からなんの文句もでないわけだし。ただただ、自分一人が悶々し続け、自分自身からの脅迫観念に似た何かに追い立てられ続ける。
 ゆっくりラテを飲み干すと、どんだけ仔細に地図を眺めてみたところで、もうする事は何もない。出立あるのみだ。天気を理由にこの街に停滞するのも、もうこりごりである。仕方なく、カメラ機材を担いでボイジャーのコックピットに収まる。やれやれと口に出して言ってみる。パドルでゆっくりバックしながら、漕ぎだしてみる。いつものように水面を滑るように進んでゆく。100マイルも先のことなど考える必要はない。ただただ一漕ぎ一漕ぎしてゆくだけである。
 ハックが、タイミングよく出発する僕を見つけて、桟橋から大声で叫んでくる。今度はどこへ行くんだ!気をつけろよ!あったかくして寝ろよ!グッドラック!ナイストリップ!僕も負けじと叫び返す。ハリマンフィヨルドまで行ってくるよ!帰ったらビールでも飲もうぜ!ハブアグッドデイ!
 カヤックのいいところのひとつは、その体勢から振り返る事が難儀なことである。コックピットが狭く、バランスを取らなければ行けない為に、腰を回転させて振り返るのが大変である。つまりただ前を見て左右規則正しく、パドルしていければよろしいということである。気づくと街は後方で小さくなっている。街を出た途端にアラスカの自然はなんとも、壮大なスケールで迫ってくる。海岸線の岸沿いを進んでゆく。風は若干の向かい風。けれど航行に支障はない。案ずるより有無が易しである。ぐずぐずしていた気持ちはなんであったのか。体を動かして気分も快活なものとなる。周りの泰然とした自然の景色に比べるに、自身の気持ちや心とは、どうしてこうも移ろい易く、不安定なものなのだろう。
 山の稜線や、並び立つ木々を眺め、海の波浪に身を任せながら向かい風と共に、大きく息を吸い込むと生きているという目眩にも似た実感と、今どうしようもなく自由であるという誇りにも似た気持ちが、溢れるような力とわけもない喜びとともに自分の体のなかにはいってくる。ぎゅんぎゅんと一度来た道を漕いでゆく。回転する黄色いパドルに魅せられたのだろうか?白い鷺のような鳥が低空飛行をして、これみよがしに追い越してゆく。
 午前8マイル、午後8マイルを走行して計画通りに、夕方バーレット岬に到着。カヤックを接岸させて荷物を下ろし、すばやく海水の届かない高台になった場所へテント設営。座りっぱなしだった体を伸ばす為、一帯に広がる森に分け入って散策。トウヒやアラスカマツやらシラカバが群生した原始のままの森を、熊除けベルをリンリンに鳴らして歩く。水をたっぷりと含んだ栄養たっぷりの森の地面の下地にはキノコやら、シダ類やらの無数の生命が息づいていている。それらの柔らかな下地を踏みしめる一歩一歩が心地よい。手つかずの野生の森を歩く喜びをかみしめながらも、深入りせずに帰路につく。
 キャンプに戻ると、火をおこして食事の用意。辺りには炊き火の為の灌木が事欠かない。夕食の時の焚き火は、エンターテイメントである。燃え盛る火を見ながら、腹一杯に飯を食らう。心細くはあるけれど、街に居るときよりも落ち着いた気持ちになるこの感じはなんなのだろう。読みかけた本を片手に気がつくと、深い眠りに落ちていた。

  氷河日記  
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