8月30日

 氷河の発達する沿岸地域の天候は、本当にうつろい易い。昨日までの青空はどこへやら。朝から風が吹きすさび、雨が降り、そして寒い。アラスカの夏は終わってしまったのだろうか?海上では白波が立つほどに、風が吹いている。この天候ではカヤックの航行はおろか、外に出歩くのもおぼつかない。今日は、テント内での停滞を余儀なくされる。けれどタープを打つ雨音を聞きながら、テント内で横になっているのは、なんとも憂鬱である。持参した本を取り出して、時間をつぶす。「感情教育」読了。カフカ「アメリカ」を読み始める。何度も繰り返し、旅の中で読んできた本である。僕が時間と共に考え方が変わってゆくように、この小説も読むたびに、新しい発見がある。主人公カールロスマンの旅の場面場面に、かつての旅の場面が重なってゆく。そして、この小説をこうして再び手にとるのも、なんだか久しぶりである気がした。
 ひたすら、外では雨風が吹きすさぶ。飯さえも外では食べれない。昼ご飯を済ませて、また読書。何時間もテントの中で読書だけしていても、だんだんと活字に集中できなくなってくる。一旦本をおいてテントの中で胡座をかいて、姿勢を正す。目をつむってみる。どれだけそうやって目をつむっていたろうか。時間はいくらでもある。長い間ひたすら姿勢を崩さず、目をつぶっていた。だいぶ気分がすっきりする。とにかくただただ退屈である。気が先へ先へと急いていた。カヤックでのフィヨルドの末端を目指すこの旅は、地図でいうところの最深部、行き着く限りの遠くを目指した旅である。行き止まりで引き返すことを目指したこの旅の中では、進み続けることが信条である。停滞していると、なんだか行き止まりに阻まれ続ける袋小路にいるような気分になってくる。せまいテントの中に居続けると、ネガティブな思考を頭の外に追いやるのがむずかしくなってくる。
 テントはゴアテックス製の防水のものであるが、それでも縫い目から水はしみだしてくる。テントの上部に張り出したタープは、溜まった雨水を定期的にどっさりと地面へ放水する。今日は、もう天候が回復することもなさそうである。あきらめて、また本に戻る。再び主人公カール・ロスマンの物語へと寝袋の中で潜り込む。
 去年のアラスカ旅行もそうだった。9月にコロンビア大氷河目指し10日間の旅程ででかけたが、そのうち7日間は雨だった。比較的、カラリとした天候の6月くらいに旅行すればといつも思う。そうすれば、惨めなテント内での雨上がり待ちもないだろう。写真機材を水濡れから守る為に神経質になる必要もないし、いつも濡れそびったレインジャケットを羽織る必要もないのであろう。けれど、やっぱり僕は曇り空の光の下、氷河を撮影したいと思う。直接照りつける太陽光は、氷河の撮影には要らないのだ。目で眺める分には氷河の姿は照りつける太陽光の下、美しくあるだろう。太陽光で輝く氷はまるで巨大な宝石のようである。けれど、こと写真に関しては、コントラストが強過ぎて大切な青さが飛んでしまう。僕はやっぱり曇天の光の中でその深遠なるあの青を、浮かび上がらせたいと思うのだ。写真の上で。それにはやはり、季節が夏から秋へと刻々と変わってゆくこの時期の撮影が好ましいはずなのだ。
 比較的激しい風と雨は、今日はやまない。そしてひどく冷える。仕方なく、熊が嗅ぎつけるのを恐れながら、夕食もテント内で取る。食事が終わると、レインジャケットを着込み、フードコンテナーを少し離れた森の中にデポしにゆく。薄暗がりの森の中は、僕の知っている森ではない。不気味で恐ろしく、まるで肝試しのように慌てて帰ってくる。濡れた衣類を交換して、寝袋のジッパーを閉める。家族で取る食事や、暖かい風呂、乾いたバスタオル、自分のベッドや、朝方まで続く安眠の中の無数の夢。そんなことが自然と想像されてしまう。一体ここは、どこなのだろう?自分はなんてところにいるのだろう。
 雨がテントを打つ音は、僕をマッドマンに仕立て上げる。もちろん心の中でひとり、奇声をあげたところで雨風がやむわけではない。この調子だと明日もこんな天候だろうか?そんなことはでも、考えても仕方のないことだ。ある部族の言葉でこんな言葉があったっけ。風は川ではない。風は、川のようにずっと吹き続けるものではない。いつか、止む時が来る。日がなテントを出れないのはしんどいが、雨風は川ではない。呪文のように何度も口に出してつぶやいてみる。風は川ではない。雨風は川ではない。

  氷河日記