9月10日

 朝方に、最後の米である小さな味噌おにぎりを、寝袋にくるまったままほおばる。お湯を沸かし、緑茶を煎れる。朝もやが辺りをまだ覆っている。真夜中に軽い雨が降っていた。昨晩飲んだウィスキーがまだ体に残っていて、だるい。この数週間でだいぶ寒さが増したようだ。アウトドア防寒着の下にネルシャツを着て、セーターの上からフリースを着込む。トレッキングブーツの紐を締めて、今日も森へベリーを探しにでかける。天然のベリー類がせめてもの、腹の足しである。昨日見つけたラズベリーが群生する場所へと、また歩いてゆく。緑の地面は、昨日の雨を含んで濡れている。
 最後の米を食らってしまった以上、もううかうかはしてられない。天候が悪化して、足止めをくらってしまったら最悪である。これ以上お腹をすかせながら、テントの中で天候の回復を待つのなんて御免である。森でのベリー摘みから戻ると、早々にウェットスーツを着込んで、最後の氷河撮影にでかけることにする。目の前のブラックストーン氷河の氷壁までは、1マイル程であろうか。撮影機材のみをカヤックに積み込んで、出艇する。小雨がちらついているが、氷河の撮影の為には悪くない天候である。雲の様子を見るにしばらくは、晴れない気がしていた。確実に秋が深まり、そして冬が近づいていた。
 しばらく漕いだところで、用を足すために近くの岸に接岸。昨晩のウィスキーがすこし腹にこたえている。大自然のなか氷河を見ながら、用をたすのは正直なかなか気分のいいものである。帰国したら、早速自宅の雪隠に氷河の写真でも飾ろうかしらん。
 どれだけのイメージを抱えて僕は、今回帰国できるのだろうか。この2回目のブラックストーンへのアタックが最後の撮影になるのは、明らかだった。僕は、密かに氷塊が落ちる瞬間の写真がほしいと思っていた。手頃のサイズの氷塊が落ちるその決定的な瞬間の写真が。ブラックストーンのような凹型の凹の部分が深く奥に入り込んでいて、その奥の部分で頻繁に滑落がおこるところでは、そんな写真を撮る事ももしかしたら可能ではないだろうかと思っていた。けれど、その後の押し寄せる波をどうかわしてゆけばいいだろう。「手頃」なサイズならば問題ないだろう。けれどもちろん、自然は僕の撮影の為に滑落のサイズ調整などしない。ウェットスーツをあらためて着込み、もう一度カヤックに乗り込んで漕ぎだす。どれくらい岸から漕ぎ進んだ頃だろうか。目の前の氷壁から、見た事もないくらい巨大な部分の氷が崩壊する。それは、ちょっとした団地くらいの大きさはありそうだった。いやもっとだろうか?
 未だ、十分な距離はあるものの、視覚情報よりも遅れて僕に届くその爆音が、崩壊とそのあとの激しい水面への滑落を、まるでスローモッションのように変える。直下の水面では大きな津波がわき起こっているではないか。身が震え、パドルする手が止まる。津波は暴れるように、崩れる巨大な波から次第におおきなうねりと変わって、どんどん近づいてくる。崩れる波でなれければ、舳先をうねりに対して垂直に保ち、まっすぐに漕ぎ当てれば転覆することはない。ゆっくりと迫り来る波に向かって、こちらも推進力を持って向かって行く。スピードはできるだけ早い方が、やり過ごせる確率はあがる。するとどうだろう滑らかに押し寄せてくるその大きなうねりは、今度は岸に近づいた浅瀬でまた盛り上がって、崩れ始めるではないか。サーフィン風にいう「ビーチブレイク」である。めくれるように崩れるその波にはカヤックを転覆させる力がありそうだ。
 一瞬、カヤックでこの波に乗っかって岸の方へ逃げるか、それとも沖に向かって漕ぎきるか迷う。180度舳先を方向転換する時間はない。間に合ったとしても、カヤックで波に乗るのはリスクが高すぎる。進路を少し左に変えて、崩れていない波の肩側に全速力で漕いでいき、第一波をなんとかやりすごす。波はそのピークまで僕を大きく持ち上げて、そのあとに波の後ろ側を下らせる。ほっと一息つく。きれいなビーチブレイクであった。めくれた波の真ん中がぽっかりと空間になっていた(サーフィン風にいうところのチューブ)。第二波は、前のものよりは大きくはない。それからまた小さくなった第三波。波が岸で反響し、来る波と引く波が混じりあう。閉じられた空間で音が混じり合う様に、水面は、大小様々の連なりが行き来して、それがだんだんと小さな無限の山に変わってゆく。時間をかけてそれらのギザギザの山も収束してゆく。辺りは元の静けさを取り返す。直下の水面は、落下した拍子に砕けた無数の氷塊で満ち満ちている。それらは、長い長い河としての旅をここで終えて、これから溶けながら海と一体になっていくのだ。
 僕の心臓だけが未だにバクバクしていて、その鼓動だけが収まらない。桁違いの自然のエネルギーを前にして、なんだか興奮状態がさめやらない。もし用を足さずにそのまま進んでいたらどうなっていたろうか。想像するだけでも怖かった。転覆することはなかったにしても、写真を撮る事はできたろうか?いや、撮れやしなかったろう。自然が人間の為に「手頃」なサイズの滑落を用意することなどもちろんない。そもそも「手頃」さとは無縁のエネルギーに満ちた撮影対象なのだ。氷河の「ちょっとした」挨拶に文字通り肝を冷やした僕は、手のひらで胸を押さえる。鼓動を感じ、息を吐く。
 氷壁付近の水面い落下した氷塊が漂い、思うようにそれ以上近づく事はできない。氷塊が流されていくのは、時間がかかるだろう。あきらめて帰るには、僕自身の興奮が冷めやらない。大きく湾の南岸まで回り込み、上陸できる場所を探して、氷河の横をトレッキングすることにする。足場の不安定な岩場でカヤックをなんとか接岸して降りる。潮で愛艇が持っていかれないように、担いで安全な岩場まで持ち上げる。機材を担いで、雨に濡れた足場を四つん這いで上ってゆく。後退した氷河の爪痕が岩場に行く筋もの溝を残していて、その溝で足場を確保しながら、慎重に登って行く。ただただこの巨大な青白い壁を様々な角度から眺めてみたかった。登れるだけ登って横から撮影する。下から見上げる時と違い、ブラックストーンは、まるで巨人たちの墓場のようである。押し出され突き出された氷の塊は、無数の青白い墓標のようである。極北の氷河はやはり、生に満ちあふれた太陽とは、真逆に位置するものなのだろう。そのことが、僕に氷河を曇りの光の下で撮影させるのだ。上から眺めるにつけて、改めてこの海面をカヤックで漕いで行く自分は、滑稽であると思う。けれど、そんな事は最初からわかっていることだ。滑稽なことこそを僕は、真剣にやり通したいのだから。
 登るときよりも神経を使って、濡れた岩場を降りて行く。なんだかまるで、氷河に脅かされてここまで登ってきてしまったようだ。けれどまたひとつ新たな氷河の姿が見れてうれしかった。どれだけの異なるイメージを僕は、このモチーフで見せられるだろうか。それだけが僕の氷河に対する思考の痕跡であるはずだった。我ながら、大きなモチーフを選んでしまったと思う。まだまだ撮影に年月がかかるだろう。年月をかけて行こうではないか。ゆっくりと氷の爪痕にトレッキングブーツをかけて下りながら、下で待つボイジャーの元に戻る。
 昼前にキャンプ地に戻ると、素早くテントを撤収して、さっさと身支度する。あとは、もうウィティアーの街に戻るだけである。距離にして、約23マイル(約35キロメートル)程。いつもなら1日半くらいかけて漕ぐ距離であろうか。空腹をおして、どれだけ夜までに進めるだろうか。今日は、どこかで休まなければだめだろうか。休まずに街まで漕ぎ切ってしまいたかった。
 摘めるだけのベリーを摘んで、途中の休憩の為にとっておく。お湯を沸かし、緑茶を空のペットボトルに入れる。ジップロックに味噌の塊を入れて、そいつもいつでも取り出せるように、ポケットにしまう。スポーツアミノ酸を噛み砕く。空腹の為の興奮が今はまだ続いている。これがいつかは、激しい疲労に変わるのが怖かった。ベリー摘みから戻ると、すかさずカヤックに乗り込んで出艇。少し靄のかかるブラックストーン湾を背にして漕ぎだして行く。さらば、ブラックストーン。さらば、永遠に眠れる巨人たちよ。今度出会う時は、どんな姿をしているのか楽しみだ。その時はまた、お手柔らかにお願いします。
 一漕ぎ、一漕ぎ街に近づいているのがうれしかった。ここは既に漕ぎ慣れた場所である。腹は空いているが、なにも口にする物がないというのとは違う。ぼくには、味噌がある。ベリーがある。スポーツアミノ酸がある。たいしたものはないけれど、何もないのとは訳が違う。それにこの空腹状態を楽しめる心の余裕がまだ、僕にはある。この状態の先を知りたいとさえ思う自分がまだいる。漕げば漕ぐほど、体を酷使すればするほど、興奮状態が続くような気がしていた。けれど止まってしまうのが怖く、止まってしまったら、もう動けなくなるような気がしていた。規則正しく、一部の隙もなく、左右のブレードを海面に差し込んで、掻いた水を後ろの景色へ置き去りにして行く。規則正しい的確な呼吸をして、それらの運動に神経を集中する。僕は、パドリングマシーンなのだ。正しく動き続けることが快楽なのだ。ガソリンは足りていない。けれど、ガス欠する訳にはいかない。水辺の物理的法則と、急ごしらえの体内気功のパドリング奥義に則って、とにかく街にたどり着こう!そこでは、中華料理とビールが待っている!
 Decision Pointの手前でへとへとになり、もう一漕ぎもできないと思う。街まではあと13.4マイルくらいだろうか。もはや地図での自分の位置など関係ない。ここはかつて何度か通った道であるのだ。パドルをなげだし、足を投げ出す。ベリーをむさぼり食い、味噌を舐めて、緑茶を飲む。そしてまたベリーをむさぼり、味噌を舐める。余計に腹が減ってくる気がする。チョコレートの一枚でも食べたいと思う。なんでもっと計画的に持ってきた食料を消費しなかったのだろうと、今更に悔やむ。けれど仕方ないと思う。ただひとり自然の中でエネルギーの源である食欲を、押さえる事はむずかしい。食べれるだけ食べてしまう。そして、持ってくる食料は、限られているのだから。
 一旦、上陸して体を休める事にする。カヤック上でとれる楽な体勢にも限りがある。お湯をわかし、コーヒーにたっぷり砂糖をいれる。寝袋をだして、マットに横になる。意識を失うようにしばし眠る。眠ったら起きれなくなりそうだなと思いながら、意識が薄らいでゆく。長く眠ってしまったような気がして、目が覚める。たかだか1時間ほどしか眠っていない。今日は、できるだけ漕ぎ続けなければ、だめだ。今晩は、ベッドで眠ろう。ウィティアーで宿をとり、ふかふかのベットで眠るのだ。温かいシャワーを浴びて、清潔なリネンにくるまってなにも心配しないで眠るのだ。
 夕方になり、再びコーヒーを飲んでまた、先を急いで漕ぎ始める。大丈夫。僕は漕ぎきれる。つらいけれど漕ぎきれる。自分が進んでいるのがわかるように、なるべく岸辺沿いを進んで行く。岸辺に目をやりながら、食べるものを絶えず探している自分がいる。Decision Pointを大きく曲がるとあとは、ウィティアーの街までは西へ一直線に進むだけである。今では、パドルのスピードもとても弱い。けれど、漕ぎ続ければいつか着く。漕ぎきれる。それはわかっていた。太陽が沈み、いつしか辺りは暗くなりはじめている。夏は終わり、来た頃に比べ日の入りも確実に早まっていた。漁に出かけていた漁船も僕を追い越して、港に戻って行く。空腹の波がひどく狭くなってきている気がしていた。
 暗闇には人を不安にさせて、心をくじく力があった。いまさらながら、接岸して今晩を野営して過ごそうと思うけれど、もう遅かった。暗闇に浮かぶカヤックの上から、適切な野営地を見つけるのは、難しい。もう街まで漕ぎきってしまう他ないのだ。今では、すっかり夜の闇が僕とそれから僕の穿くカヤックを包み込んでいた。進路はまっすぐ。暗くなっても問題はない。風が吹き、雲の隙間から星さえ顔を覗かせはじめている。カヤックは確かに今では、無重力の世界を進む宇宙船となっていた。暗闇に包まれながらも、ぷかぷかと水面に浮かび、少しづつではあるが目的地に近づいていた。もはや速度さえ関係ない。自分自身の体のなかから出てくるか細い力をつかって、アメンボのように進むだけだ。山裾から雲の向こうにおぼろげな月が上ってきた。空腹の苦痛に苛まれながらも、夜の闇の中に存在するある種の恍惚感にも浸り始めていた。もうすぐだ。街はもうすぐだ。そうつぶやきながらも、この夜がいつまでも続きそうな気がしていた。
 かろうじて目に見える岸辺の近くをまっすぐに進みながら、目の前の小さな岬の木々の先に、なにやら光が見える気がする。小さな岬をゆっくりと超えて行くと、たしかに街の光が遠くで揺らめいていた。見ろ、たしかに街の光だぞ。おーいい。ここだあここだあ!俺はここにいるぞお!昼過ぎにブラックストーン湾をでてから、9時間以上が経っていた。急に体に力が戻ってきて、パドルする腕に力が入る。自分の体にまだこんな力が残されているのが不思議だった。人工の電気の光が、ゆらゆらと視線の先で揺れている。それは、久しぶりの街の灯である。あの光の中には、中華料理と、アンバービール、温かいシャワーに、ふかふかのベッドがむくまれているはずだ。街の光は、だんだんに大きくなり、だんだんにその数を増して行く。街の輪郭は今ではたしかなものだ。街の光がひどく懐かしい光に感じられる。それは、ぼくが属している世界からの光だった。あの街の光のどれかに、確かに僕は属しているのだ。森の濡れた緑の草の上などでなく、突出した巨大な岩の影でもなく、小川の河口の枯葉を敷き詰めた場所でもない。あの街の光のどれかが、僕の光であるはずだった。耳を澄ませばその光からいろいろな声が聞こえてきそうだった。その声は、絶え間なく交わされるおしゃべりの声であり、ひそひそとささやき合う声である。懐かしい声だった。僕が恋しがっていた声でもあった。漕ぎながら、近づく波止場の橙色の電灯は、眩しいほどに僕の目に突き刺さって、目を伏せながら最後のパドルをしていくのだった。 

  氷河日記  
  

(終)