9月6日

 7時起床。晴れ。山間から未だ太陽は、覗いていないものの、清々しい青空が見える。太陽は徐々に上って行き、そのうち僕が昨晩キャンプした背後の山の斜面から顔を出すだろう。それから、まず向かいのバリー氷河に太陽光が当たり始めるに違いない。舐めるように太陽に照らされてゆくうちに、氷河はじわりじわりと汗をかいて輝き始めるのだ。
 身支度を整えて、出発しようと思いながら体がうまく働かない。天候がいい内に移動してしまえるだけ、移動してしまうべきなのは、わかっているけれど体が動かない。正直荷物を積み、また移動して荷物を下ろし、設営撤収、移動撮影の日々に疲れがきている。気は前に進んでいるのだが、体は悲鳴をあげていた。太陽がキャンプ地を照らし始めるとマットを出して、太陽光の下で自らを充電。太陽には、やはり人を癒す力がある。
 氷河の全面に太陽光が当たりはじめると、湾の雰囲気は一変する。遠くから眺めていると、氷河はいつも僕の対峙している険しく、他をよせつけぬような巨神のようではなく、この世のすべてを祝福するかのような女神のように光り、そのものがまるで発光体のようである。海面に浮かぶひとつひとつにもその意思が受け継がれ、流され広がってゆく。こんな美しい所作が人知れず日々行われているのだ。そう思うとなんだかうっとりとしてくるのだった。
 今日から食料節約の日々がはじまるのが、つらかった。米を昨日までのように十分炊き、十分なおかずで腹一杯にしたかった。野菜とそれから新鮮な肉を食べたい。けれどそれは、願わぬ思いである。ビタミン剤とスポーツアミノ酸だけは豊富にあるのだが、そいつはもちろん主食などにはなりはしない。持ってきた折りたたみ式の釣り竿を取り出すが、どうも魚を釣れる気がぼくにはしない。魚を釣るための辛抱強さと経験からの戦略がいかんせん僕には、備わっていない。
 地図によるとここから先、約12マイル(約19キロメートル)ほどのハリソンラグーンと呼ばれる場所に、州立のウッドキャビンがある。キャビンは、自然の真ん中にぽつんとあり、鍵はかかっていない。先客がいなければ泊まれるはずである。去年のシュープ氷河への遠征でも、途中の州立キャビンを使わせてもらって、ほっと一息つけた覚えがあった。雨風をしのぐ屋根の下で安眠すれば、多少体力も回復するに違いない。そしてこの海岸氷河エリアをぬければ、ブルーベリーが自生する森で天然ビタミン補給もできるはずだ。とりあえず、今晩はハリソンラグーンまで漕いでキャビンで眠ろう。そうそれば、ウィティアーまでの行程も見えてくる。それに今日は、こんなに晴れたカヤック日和ではないか!
 働くことを拒否する体に鞭打って、撤収積み込みパドルアウト。さらば、ハリマンフィヨルド。海岸氷河たち。君たちとは、帰ってから暗室でまたじっくり対面させてもらいます。古典的ながら、景気づけに「やっほお〜」などとフィヨルドの奥へと叫んでみる。腹の底から叫んでみる。何処まで「やっほう〜」は言ったのだろうか?僕の聞く限り、声は戻っては来なかった。もう一度腹の底から叫んでみる。結果はまたしても同じである。あきらめて、ハリソンラグーンへと漕ぎだす。
 このハリマンフィヨルドまでの行程で僕のパドルワークもだいぶ安定感がでてきた。とるべき進路や、最短距離で進むための蛇行なき航行、それらひとつひとつの動作がスムーズなものになってきているのが、自分でもわかる。船全般は、英語の指示代名詞では「SHE (彼女)」と呼ぶが、まさにこのたったひとりの原野行では、艇は恋人のような存在である。僕は「彼女」の中に一日の多くの時間を座り込み、まるで「彼女」を穿き込むようにして過ごす。同時に「彼女」を穿き込みながら、海の波風うねりそのものも同時に穿き込んでゆく。そして半身半獣のケンタウロスならぬゲンタウロスとしての僕は、見渡す限りつづいてゆく版画のような海面をひたすら、パドルに似た両ブレードの剣でつきたてて進むのだ。
 どんなに疲れていていようとも、一度、海に漕ぎだしてしまったら、あとは引き返すことなど許されない。ただただ、流され、漕ぎ、流されて、漕ぐ。疲れたらポケットから地図を取り出して眺める。自分の位置を確認する。地図は麻薬のようである。地図で自分の位置を確認することは、なんとも魅惑的な行為であることか。まだたいして進んでもいないのに、目の前の現実の景色と照らし合わせて、すぐに地図の中で自分の位置を確認したくなる。自分の進んだ距離を知りたくなる。目的地までの残された距離を知りたくなる。なぜかそれだけの事が、癖になる行為である。
 夕方前には12マイルを無事に漕破して、ハリソンラグーンキャビンに到着する。小さな塞き込められた湖の入り口付近に、地図通りぽつんとキャビンが立っているのが見える。予想通り、キャビンにはだれもいなかった。室内は4つの木製のベッドと、ひとつの大きなテーブルを設えてある、とても居心地のよい空間である。こんな趣味が良く、しっかりしたキャビンを鍵もかけずに一般に開放しているなんて、アラスカ州も荒野を旅するものたちに粋な計らいをしているものだと、関心する。それにしても久しぶりの人口建造物。そして今晩は、雨風を防げる屋根の下で眠れるのがうれしい。文明万歳。人間万歳。屋根万歳。ベッドの上にマットを敷いて寝袋を出す。ドアを閉めるとひどく落ち着く。窓から、森の景色を眺めるのもなんだか愉快だった。きっちり四分の一計り、1合少々の米を炊く。具なしのみそ汁と、サバ煮缶。武士は腹一杯に食わねど、高楊枝である。まだかすかに日のある内にデザートのブルーベリーを、森の中に探しに行く。
 夜の帳が降りると、ランタンで机の上に照明を付ける。窓に自分の顔が写り、久しぶりに自分の顔と対面する。なんだか少し頬が痩けた気がした。こうして自分の顔を眺めるのは、なんだか本当に久しぶりである気がした。普通に街で暮らしていれば、自分自身に鏡の中で会わない日はないだろう。驚いたことに自分自身との久しぶりの対面は、どことなく寂しささえ紛らわすものだった。そんな事は今まで知らなかった。今まで鏡などは、どちらかというと孤独感を強めるものだとさえ思っていた。久しぶりの自分はなんだか薄汚れていて、僕が手をあげると、窓の中の僕ももちろん手をあげた。
 それから、机と椅子がひどくうれしい。机の上にランタンの灯をともして、これまで頭の中を駆け巡っていた由なし事を、ひたすらノートに書き付けて過ごす。カヤックを漕ぎながら、浮かんでは消えていった由なし事である。ひとりきりでは、ひとりきりと向き合うことくらいしか、時間つぶしはできないものだ。今日の夜は異質である。眠たくなってベッドに倒れ込むまで、ひとしきりランタンの下でペンを動かしていた。いつになく、今日は深く眠れるに違いない。今晩だけは、野生動物や雨風の心配はいらない。熊でも狸でも外の世界で暴れるだけ、暴れたって構うものか。雨よ降れ。風よ吹け。屋根万歳!ベッド万歳!

  氷河日記