9月7日

 寝袋の中で、朝方の寒さに体を縮こませながら、いつものように目が覚める。けれど、今朝は木製のベッドに置いた寝袋の中である。キャビンの室内もひどく冷えている。久しぶりのベッドはなんだかとても固く感じられた。これまでは、天然の土、草むらの柔らかい上で寝てきたきたせいだ。ガラス窓の向こうには、水辺の先に森林が広がっている。湯を湧かし、コーヒーを入れる。いつものインスタントコーヒーである。なけなしの時化たクッキーを数枚ほおばる。
 水辺で顔を洗い、ブルーベリーの採取にでかけることにする。森を歩き、立ち止まり、その青黒い実がないか辺りを見回す。ブルーベリーの群生している森は、僕と同じように熊もブルーベリーを探して歩いている場所である。立ち止まるたびにリンリンと腰にぶる下げた鈴をうちつける。熊に来訪を告げる。金属音が、森の中に響く。その場で見つけたブルーベリーの実をつまみ、食しながら歩く。酸味のきいたその実はなんとおいしいことか。口の中にビタミンが広がっていく。ビタミン不足の僕は、ひたすらに森をかき分けて歩いていく。
 一様に、ブルーベリーは腰丈くらいの低木に実をつけている。きっと熊がその実を食し、熊の糞で媒介されて方々に繁殖してゆくため、熊が食べやすい高さにその実はあるのだろう。だから、僕もブルーベリーの低木をみつけたら、腰を低くしてみる。立って見ているよりも多くの実が見つかる。四つん這いの獣の視線である。大きくて色の黒いものの方が、甘みがあっておいしい。大きな実は、親指の爪ほどの大きさがある。要領がわかってくると、ブルーベリーの実をみつけることは難しいことではない。いたる所にその低い木はある。とりわけ大きくておいしそうなものだけを食べて、森をずんずんと進んでゆく。立ち止まり、獣の姿勢をとる。リンリンと鈴を打ち付ける事だけは忘れずに。
 どこか、木の実を二本の指先で摘み、それを口に含む行為はエロティックな行為であるとも思う。食欲を満たすと共に、官能の世界にも浸っているような気にさえなってくる。指先がブルーベリーの果汁で赤く染まってくる。指先さえブルーベリーの味になる。気をつけないと、森で迷子さえなりかねない。ブルーベリーは小さな実であるために、空腹を満たすのは大変である。ひとしきりの採取を終えて、帰りはその実をポケットいっぱいにつめて帰ってくる。昼食後のデザートとしてとっておく。方角を定めてキャビンへ戻る。キャビンが見えるとなんともほっとする。小屋はなんとも心強いものである。なんと4時間以上もひたすら、ブルーベリー摘みをしていた。このあたりを近く熊がうろついたら、その低い木に大きな実がなっていなくてきっと不審に思うにちがいない。
 ウィティアーの街までは、ここから順調に漕ぎ進めばあと2日の距離である。約30マイル(約48キロメートル)。今日は、DECISION POINTまで漕げれば上々であろうか。そうすれば、明日のお昼には街に戻れるのだ。そこでは、僕を中華料理とアンバービールが待っている。キャビン宿泊は、テント泊に比べたらなにより撤収が楽でいい。寝袋をたたむくらいのものである。いつものようにテント寝袋類はカヤック内の後部に、撮影機材はカヤック内の前部に、食料コンテナーをカヤックの上部後ろに、衣類の入ったリュックをカヤックを上部前にくくりつけて、「彼女」を穿き込み出発。今日も天候は申し分ない。北東の風。航行に支障がある程度ではない。
 「白鯨」のエイハブ船長よろしく、ひたすらに氷河だけを見つめ、ひたすらに氷河を追い続けた行き道と違い、帰りの航行では通り過ぎる風景に対して、意識の向く所も自由である。撮りたいものを見つけては、上陸し、撮影する。ただひたすらに氷河に向かった行き道にはなかったことである。海辺で潮に倒された木の根の形が美しかった。断崖のむき出した鉱物の模様に目を奪われる。森の中腹から、絶え間なく流れ出る滝の白さが鮮烈だった。それらの景色は、個人的な探検のご褒美である気がする。芸術家と呼ばれる人は、言葉のあらゆる意味で冒険をするべきなのだろう。目的を持って、あるいは訳もなく、遠くまででかけようと試みるものにとって、その途中にあるすべての景色は、詩そのものなのではないだろうか。
 むき出しになった灌木の根の写真を撮影しながら、hobo湾の近くの海岸を歩いていると、先に小さな川の河口が見える。なんとも熊のいそうな景色ではないか。あまり近づくのはやめにして、接岸したカヤックまで戻ろうかと思ったその時、自分の体より大きそうな鮭を、川から森へと運び込もうとしている2頭のカワウソを発見する。カワウソは2匹で協力し暴れる鮭を必死で押さえ込み、川へ戻れないように、森の方へ引きずり込もうとしていた。鮭は、ほとんど体力を使い果たし死にかけており、ときどきばたついて我がものにしようとするカワウソに対抗する。2匹の兄弟のようなカワウソは、ぼくの存在に気づいていて、一瞬その動きが止まる。初めて見る人間である僕を本能の中で計りかねて、大きな獲物がすぐ目の前にある状況との間で逡巡している。すかさず、僕も一瞬の判断でカワウソを「こらっ!」とどやしつけて鮭を置いていかせる。二匹のカワウソは、驚いて一目散に森の方へと逃げて行く。まだ息をして、時折はねる一匹の鮭が目の前に取り残されている。
 こんなことがあるものだろうか。豪勢な夕食のおかずが目の前に落ちているではないか。頭から尻尾の先まで、全長40cm以上はゆうにありそうである。カメラをしまい、急いでその暴れる尻尾を掴んで、カヤックの元に戻る。魚はどっしりと重かった。興奮を押さえきれなかった。今晩はこいつを丸焼きにして食べる。自然と唾液が出てくるようだった。すでに息絶え絶えのその魚を、しっかりとカヤックのボディーにバンドでくくりつけて、今晩の野営地へと急ぎ、そこでゆっくり調理しよう。カヤックに獲物をくくり付けて走るのは、なんだかとても誇らしい。獲物はただ、2匹のカワウソから奪っただけなのにである。さっきまで水面下で泳いでいたこの魚は、今は無惨にも水面のちょっと上のカヤックの横にくくられて進んでいた。もう息もせずに、あとは食べられるのを待っているようだった。僕にだろうが、それとも森で待つカワウソの家族にだろうである。
 ポケットナイフで、獲物の腹を裂き、はらわたをきれいにだす。背骨と肉の間をねらって適当な太さの枝を突き刺して、焚き火の中に立てる。火の中で魚は重みでその身をたわませてゆく。時間をかけてじっくりと焼く。生臭い臭いがあたりに煙となって広がってゆき、僕はいつになく、熊をおびき寄せているようで怯える。カワウソから鮭を奪った僕は、今度は熊に獲物を奪われるのに怯えている。ここは弱肉強食の世界である。僕は、この荒野では熊とカワウソの間に位置している。
 丸こげになった皮を剥がして、その身を余すところなくスプーンでかきだして、醤油をかけてご飯と共に食べる。半身でもう食べれないほど満腹になるが、それでも明日にはとっておけない。最後は、動けなくなるほどになりながら一匹を完食。なんという充実感だろう。これは。食は間違いなく快楽だ。こんなごちそうが毎日続くというのであれば、僕はこうしてここで暮らせるではないか。あのキャビンに戻ってしばらくこのあたりで暮らす事は可能だろうか。鮭をとり、ブルーベリーを摘み、それだけで暮らしてゆくことが可能だろうか?やがて来る冬までなら、なんとか暮らしていけるだろうか?毎日カワウソたちは、僕に鮭を置いていってくれるだろうか?熊はずっと僕が森でその甘い大きな実を採取し続ける事を許してくれるだろうか?
 
  氷河日記  
  氷河日記