9月8日

 午前7時、テントのジッパーを開けていつものように一日が始まる。昨晩はここジーグラー岬にほど近い、海岸で野営。ウィティアーの街まで、あと一漕ぎ15マイル(約25キロメートル)ほど。満腹だったお腹も落ち着いている。そして昨晩食べた一匹の魚がリアルな活力として、僕の中で蠢いている。天然の動物性タンパク質とビタミンを取った僕の体には、キレが戻っている。連日のパドルワークで、蓄積していた肩こりさえなんだかなくなってしまった。森へ今日も、朝食がてらブルーベリーの採取にでかける。いまでは狩猟採集民の気分である。テントの裏の崖をのぼり、森の中に入ってゆく。今日は、とてもキノコが気になる。森には大小様々な種類のキノコが生えている。みそ汁に入れたら、どんなにかおいしいだろうか。もちろん、知識がないので食することは論外である。こんなところでしびれて動けなくなったりしたら、それこそ命とりである。自然をみくびってはいけない。けれど、キノコもおいしそうである。もしも僕に知識があり、様々なキノコを分類しながら歩けるようになったなら、森は一気に細部の解像度をあげて、新たに迫ってくるに違いない。世界を知る事はすばらしい。ブルーベリーの実は、きっとただの始まりにすぎないのだろう。僕の知らない多層的で深淵な世界が、この原始の森の奥の奥に広がっているのだ。
 森の遊歩は、写真撮影行為そのもののようでもある。気づき立ち止まり見つめて、また気づく。気づいた先の小さな細部の中に、世界そのものの姿がある気がする。熊除けのベルの金属音がリズミカルに響き、自らのそのリズムに乗って、森の中に意識がドライブしてゆく。金属音は炎と同じように、人間が人間であることの印である。リンリンリン。リンリン。森の中で響く金属音には、どこか意識を揺さぶる何かがある。熊が避けていくことも、何となくわかる気がした。この音は熊には理解を超えた恐ろしいものなのだろう。
 いつの日にかアラスカの森の写真を撮り始めることになりそうだ。金属音がそのことを告げていた。リンリンリン。リンリン。その音は、今では外れない知恵の輪の音のよう。リンリンリン。森を撮るための自分への仕掛けや、目的地のイメージも、既に僕の中には芽生えていた。それらは確実に土地そのものから来るインスピレーションであり、帰り道のおみあげのようなものだった。リンリンリン。森を撮りなさい。森の先を撮りなさい。リンリンリン。その音は、僕が身につけた鈴からのものではなく、森の奥、僕の知らない奥の方から聞こえてくる音に変わっていた。リンリンリン。リンリンリン。
 いつも旅の途中では、人は写真だけに残るイメージに限らずに、心や意識に残るものも自然と持って帰ってくるものである。それは、いつの日にか大きくなり、その声に忠実になれば、また同じ場所へ帰ってきてしまう。そうやって、今までも僕は世界中を繰り返し旅してきたのだった。アラスカがあり、チベットがあり、エチオピアがあり、スリランカがある。ポルトガルがあり、パタゴニアがあり、ハワイがあり、インドネシアがある。かつての土地が僕をささやくような声で呼んでいた。忘れ去られたはずの記憶の断片が、ふとした拍子に新しい場所とつながってゆく。写真で撮りこぼしたものたちをまた拾いに僕は、ずっと旅を続けていいるのだろうと思う。どれだけのものが形になるのか。僕自身にもわかりは、決してしなかった。それは、いつでもささやかな賭けである。ちょっとした運だめしである。オッズはなしの配当ゼロ。ヨーイドン!のあとは、いつもラストラップの鈴が鳴り響いている。リンリンリン。リンリンリン。
 ひとしきり、ブルーベリーも採取した後、昨晩の野営地から撤収して、出艇。自然の交差点であるDECISION POINTを目指す。パドルの調子もすこぶるいい。肩が軽い。パドリングの稼働率が違う。スピードにのりカヤックの竜骨で水を切り裂く。DECISION POINTを曲がり、大きく西に進路をとれば、あとはウィティアーの街まで10マイル。東に進路を取れば、太平洋の外洋に出れる。まっすぐに進めば、この旅のはじめに訪れたブラックストーン湾と、ブラックストーン氷河が待っている。「決断地点」そう名付けられたこの場所は言い得手妙である。自分の決断で、どちらの方向へも繰り出せる場所である。どちらに進むか決めなくてはいけない岐路である。天然の交差点である。船舶の目印となる人口のサインが岬の角にたてられている。右折向けの方向指示が点灯している。
 右折して東へ進路をとりウィティアーの街まで今日中に帰るつもりが、まっすぐに漕ぎ続け、進路をブラックストーンの方へとってしまう。なんだかまだ、街には帰りたくなかった。もう3週間こうしてひとり自然の中を旅しているが、まだもう少し続きがある気がしているのだ。まだ余力があるのだ。もう一度あの氷河を見に行こう。貪欲にもう一度、ブラックストーンへアタックしよう。ブラックストーンまでの往復数十マイルくらい、天候が悪化しようが漕ぎきれるだろう。持参している食料はほんのわずか。けれど僕には、天然のブルーベリーと鮭がある。もう一度だけ、氷河と対面して帰るのだ。もう一度帰る前に、あの場所へ身をおきたかった。
 進路をそのまま南にとり、ブラックストーン湾の方へ海峡をわたる。岸から遠く離れて漕いでゆくのは、いつでも緊張するものだ。ぷかぷかと大海に浮かぶ4mほどのカヤックなど、枯葉のような存在である。肩と腕で漕ぎ続ける推進力だけが、この海原では僕の存在理由である。漕ぎを進めなければ無価値である。推進力を失えば、それは落ち葉と一緒である。
 いつしか遥か向こうに見えていた海峡の向こう側にたどり着く。ただ、漕ぐ事をやめなければいつしかたどり着く。そのいつしかは問題であるにしろ、たどり着く事に変わりはない。合い言葉は、キープオンパドリングである。フィヨルドの入り口付近の南岸に今晩は、停泊することに決める。向かいの山裾にテベンコフ氷河のその白い姿が見える。あたりには湿地帯が広がっている。一張りの緑色のテントを張っているのが、湿地帯の奥の丘に見える。テントの大きさからみて僕と同じようなシングルパドラーだろうか。きっと満潮の時間帯に、ここを訪れてキャンプをしているのだろう。
 今のような干潮の湿地帯ではなかなかカヤックを接岸し、乾いたテントを張る場所を見つけれない。一時間ほど入り江の奥に漕ぎ進み、ようやく接岸できる場所を見つけ、キャンプ地を偵察。内陸まで荷物を運び込み、比較的平らな緑の上にキャンプ設営。付近でまたしても熊のと思しき糞を発見。けれど、もうキャンプ地を移動させる体力は残されていない。雷に打たれたように焦げ朽ちた近くの木を、剥ぐようにして倒し今晩の薪とする。また夜がやってくる。今晩は、最後から2つ目の缶詰めを開けよう。木を燃やし、飯を炊く。食後にお茶を入れて、一息つく。風が吹き、まるで潮が引くように光も空から引いていく。星が輝き始め、目がその繊細な光に慣れ始めると、今度は木々の間から降ってくるようなその輝きに変わる。言葉と思考を失う。ひとつの星を眺め続けると、星はもちろん確実に回っているのがわかる。星はゆっくりと確実にとどまる事なく動いていた。僕は、どこまでこの自然のリズムの中にいれるだろうか。街に帰る日は、近い。今はただそれを一日一日延ばしているだけだった。

  氷河日記  
  氷河日記