9月1日

 雲ひとつ見当たらない晴れ。爽快な朝である。空気はひんやりとしているが、なんともすがすがしい。雨に苦しめられて続けている今回の旅行にあっては、小踊りしたいほどの天気、絶好の移動日和である。地図を改めてにらみ今日の戦略を考えながら、パンにコーヒーの朝食を取る。対岸のドランポイントを超えれば、いよいよハリマンフィヨルドに突入する。ハリマンフィヨルドはドランポイントから15マイル(約25キロメートル)以上西の方角へと続く長いフィヨルドである。深く入り込んだ入り江の為、海面自体は湖のように静かである。その最深部にハリマン氷河。北側の海岸線の真ん中あたりにサプライズ氷河。その手前に、サーペンタイン氷河。フィヨルドの入り口の突き当たりに、バリー氷河とコックス氷河が並び立つ。言うなれば、プリンスウィリアム湾の海岸氷河銀座である。日本に居る頃からずっと思い描いていたフィヨルドにもうすぐ自分が突入してゆくことを思うと、自然と体が高揚してくる。
 ハリマンフィヨルドは発見者である、エドワード・ハリマンにその名を由来する。フィヨルドや氷河に名前を残したエドワード・ハリマンは、けれどその時代の冒険家ではない。同時代に同じく南東アラスカの氷河に名前を残した偉大な冒険家でありナチュラリストである、ジョン・ミュイアーのようなタイプの人物とは全く違う。ニューヨーク出身の銀行家、投資家、実業家であり、ユダヤ系の大富豪である。彼は当時のアメリカでいくつもの鉄道会社を所有経営し、ニューヨークには50を超えるペントハウスを持ち、500人以上の召使いがいたという桁違いの富豪であり、桂・ハリマン協定として知られる満州鉄道の共同経営を日本側に迫った人物としても知られている。
 50歳の時、激務による過労から心身のバランスを崩したハリマンは、主治医から長期の休暇と自然の中での治癒を進められる。その時、うわさに聞く北米最大級のほ乳類であるアラスカの熊を猟にでかけようと思いたった(実際ハリマンがなぜアラスカをその目的地として選んだかは、歴史家たちの間でも諸説ある。アラスカからシベリアへの鉄道橋をかけて、世界横断鉄道の夢をかなえるための現地調査の為という説もある)。遠征の為に彼は、船内に図書館や舞踏場、豪華な内装を施した全長76mの蒸気船「エルダー号」を建造させた上、当時のあらゆる科学者や芸術家たちを乗船させて、シアトルから一路アラスカに出航する。
 ハリマンご一行を乗せた「エルダー号」は、2ヶ月後にはアラスカ南部のプリンスウィリアム湾に到着。そして同年6月25日、ちょうど僕が今キャンプしているあたりから、地図に記載されていないフィヨルドが15マイルにわたりその奥に伸びているのを発見し、「ハリマンフィヨルド」と名付け、その最新部の巨大な海岸氷河を「ハリマングレシャー」と名付けたのだ。
 探検や冒険がロマンとして機能していた100年以上前の時代から比べても、このフィヨルドを囲む山々の景色は大きく変わってはいない。山肌にかかる氷河が少し減じたくらいだろうか。当時の「エルダー号」に乗船していた科学者や、芸術家、そしてハリマン本人も、きっとこの静かに横たわる湖のような渓谷の美しさを今の僕と同質の感動を持って受け止めたに違いない。人間の自然に対する感動の質とて、この100年で一体どれほど変わろうか。プリンスウィリアム湾のダイヤモンド。「エルダー号」に乗り込んだ一人の科学者が称したこのフィヨルドへの形容が誇張ではないことを知る。
 ハリマンフィヨルドに突入するのを祝福するかのような天候がうれしくて、パドルスピードも自然と上がる。気温も高い。太陽が燦々と射すとその景色は一変する。どこまでも澄み切った空気が、渓谷のあらゆる森の細部に染み渡り、湖面のような海の上で跳ね返る。ぷかぷかと浮かび始めた氷の塊は、天然の時の形を現すかのように、ゆっくりゆっくりと解けてその形を整える。今ひとりここに居る事の喜びを伝えるすべを、写真を取る事以外に僕は知らないけれど、それさえもなんだか本当にちっぽけなことのような気がしてくるのだ。
 順調にフィヨルド内を進み、北東面の山腹にはサプライズ氷河が見えてくる。その姿は、傾きかけた太陽に照らされてとても美しい。未だ数マイルは先にあるその氷壁を眺めながら、漕ぎ続ける。今日は、サプライズ氷河の対岸の南面のどこかにキャンプに適した場所を見つけて、野営する計画である。地図で見る限り、南面にいくつか流れる川の河口あたりが一番このフィヨルドを撮影するためのベースキャンプとして、都合がよさそうである。出来るだけ最深部であるハリマンフィヨルドの氷壁と遠くない所が、明日以降のベースキャンプ地として好ましいだろう。
 それにしても今日の光は、美しい。昨日までの風が大気をきれいに掃除したのだろう。未だ遠くに見える光を受けた、対岸のサプライズ氷河から目を離せない。日もあと1、2時間で山陰に隠れ始めようかという時、僕は大きく進路を変えて、対岸の氷河に向かっていきなり漕ぎ出しはじめる。もうこの先でキャンプを張って明日に備えるつもりであったが、対岸の氷壁を見るにつけ、居てもたってもいられなくなってしまう。9月に入った南アラスカで、この天気が明日も続く気はしなかった。近づいて行き、消えてゆく光の中で、じっくり氷河を見たかった。今まで、雨のなか、風のなか冷静に行動してきたつもりだが、今は冷静でなどいられなかった。ただただひたすらに氷河に向かって漕いで行きたくなってしまったのだ。
 一日の航行の後の自分の無茶は、ひどくこたえた。2マイルほどの距離がひどく遠くに感じられた。夕方の冷気が、氷河の冷気と相まって、顔面に吹き付ける。途中でまたしても軽率な行動を悔やみ始めるがもう遅かった。戻るにも、背後の岸辺はすでに遠い。フィヨルドの中程で荷物を全部積んだ僕の小艇は、氷河からの冷風で進んでいるのか、戻されているのかわからなくなり、全力で漕ぎ続ける僕の末脚ならぬ、末腕も限界が近づく。ただ、時々見上げるその氷壁はすばらしく美しかった。近づいて眺めるサプライズ氷河はブラックストーン氷河とは反対に、真ん中がせり出した凸型の氷河である。その真ん中の部分には両側から圧力がかかって青が凝縮されていた。むかって左端の氷壁は、頻繁に小さく滑落しており、フィヨルドの静寂を定期的に爆音で打ち破っている。左側の奥に行くのは、とても危険である。明日以降も近づくことは厳禁である。
 数枚だけ写真を撮ったあと、もうそれ以上近づく事をあきらめる。というよりこれ以上の体力を使うのは危険である。自分でも体の中に、残された体力が後わずかなのを知る。氷河から離れることもままならず、一番近くで接岸できそうな場所を探し、なんとか接岸上陸。氷河が近い為、植物の育成もままならないむき出しの岩場である。なんとかテントを張り、火を起こす。氷河からの冷風が冷たい。おちつくと、自分の衝動的な行動を少し反省する。けれどしょうがないとも思う。荒野の中で、生理的な反応を自分一人で制御するのは難しい。疲れすぎてなんとか急ごしらえの夕食を食べながら、うとうとと眠りにおちそうになる。

  氷河日記