8月11日

 早くに、グレイシャー湾のロッジに辿り着きたい一心で、昨晩はグース岬と呼ばれる、ヌナタック山の先まで戻ってくる。あと60キロほど。グレイシャーロッジまでの航程はあと3日、うまくいけば2日で漕ぎ切れる計算である。セブリー島でピックアップボートに乗って帰る事も考えるけれど、楽をして一日この荒野にいる時間を短縮するより、少しでも長くこの素晴らしいグレイシャー湾の自然の中にいて、写真を撮りながら、帰路につこう。何よりここは、簡単にまた来れるというような場所ではないのだから。
 恐る恐る探るように、慎重に進んでいった行きとは違い、帰りの道は景色の数々をすでに知っている分、とても気が楽である。
 無心でひたすら走行距離だけを延ばすように、ぐんぐんと漕いで行く。クロッツヒルのかつての野営地を左手にみて、ミュイアーポイントを南に超えていく。熊五郎と遭遇したガルフォース島を横目で見ながら、岸伝いを航行して、空に近かったタンクに小川で水を満タンにしていく。
 天候は、申し分なく晴れ渡っている。雨や風に悩まされた前回の遠征に比べたら、今回は天候に恵まれたといって良い。ガルフォースの先のスタージェス島で上陸して、遅めのランチをとって、ラズベリーを食後に摘む。カヤックを停泊させたビーチに、マットを取り出して横たわり、午後のパドルに備えて昼寝をする。眼をつぶると何種類もの鳥がハーモニーを奏でているのが、気持ちよい静寂の中で聞こえてくる。5種類。6種類。それぞれは違う種類の鳥なのか、それとも同じ種類の鳥でも、何種類かの鳴き分けをすることができるのか。それぞれは一体なんという名前の鳥なのか。世界は、本当に僕の知らない事で満ち満ちている。
 なんだろうそれにしても、アラスカの夏の日々の、この気持ちよさは。冬が厳しい分、夏にそのすべての滋養を噴出させているというのだろうか。閉ざされるようにしてある冬の反面、森が光とあらゆる滋養を含んだ風を一心に受けて、喜んでいるようである。まるで、山さえもその光を喜んでいるようなのだ。いつも帰り道の時間とは、いろんなものが新たに語りかけてくる時間でもあるだろう。それだけ、きっと行き道の自分は限定された視点で、ものを見ているに違いない。 
 写真を撮影する旅とは、いつも僕の場合いったり来たりの旅である。それは絶え間のない往復運動なのだ。帰って現像しなければ何も分からないという、沈黙の帰り道に気づくことは、また違った種類の「おみあげ」でもあるだろう。
 アラスカのパイプラインを撮影していた時もそうであった。1280キロの片道を一体何度行ったり来たりしたろうか。デッドホースと呼ばれるあの北極圏の北極海の果てに、僕は何度、車を駆って通ったろうか。
 思えば、この氷河を巡る旅も、パイプラインの太平洋側の終着点、バルデーズの街から始まったものであったっけ。パイプラインを巡る往復2560キロの旅路の果てに、軽い気持ちでシュープ湾と呼ばれる小さな湾に、海岸氷河を見に行ったのがきっかけだったなにか氷河というモチーフに対しては、撮影の最初の最初から確かな手応えがあったのだ。そう、それは一目惚れの恋のような出会いであったのだ。理屈を超えて、僕は被写体としての氷河に恋をしてしまったのだ。
 僕は、いつもアラスカの大自然に魅せられてきた。いつもこの大自然が、僕を一人にし、そしてその自然と向き合うことで、それらを写真に収めるにはどうしたらいいだろうかと思わされて来た。自然は芸術の口実である。という有名な誰かの台詞を文字るなら、僕の場合アラスカの自然は、僕にとっては写真の為の口実なのだ。それとも、写真こそがアラスカに居るための口実だというのだろうか?
 スタージェス島からは、行きのアイランドポッピングルートとは違い、岸沿いの迂回ルートをとることにする。岸に近い安全なルートをゆっくり行くのがいいだろう。
 肩や腕の筋肉はぱんぱんに張っている。カヤックに座りすぎているせいで、腰にも違和感を覚えるが、ミュイヤーインレットの往復で、体全体の無駄なものが削げ落ちて、妙なスイッチが入ったパドルマシーンのようである。間違ったスイッチを押してしまったせいで、いつまでも手にしたシンバルをたたき続けるブリキのチンパンジーのおもちゃ。もしくは、ぶつかりぶつかりしながら、どこかへ飛ぶように走っていく、ぜんまいの切れた無様なチョロQ。
 ともかくに、、、、、、。パドルが絶え間なく、目の前の水を後方に押し出しながら、言葉の数数が頭に浮かんでくる。ここアラスカは、僕にとって写真のサンプル採集地であるのだろう。人間がどんな風に自然の中で生きてきたかについての、サンプルケースとしてのアラスカ。どんな風に自然から何かを得て、どんな風にその自然の景色に手を加え、どんな風に生き延びてきたかというサンプル収集地としてのアラスカ。勿論それは、アラスカでなくとも、どこでもよかったのだろう。今、仮に、ここは、ア・ラ・ス・カと呼ばれているだけなのだから。(ちなみにアラスカという呼び名は、アレウト族という部族の「半島」という意味の言葉から由来しています。)かつてのエスキモーやトリンギットの現住民たちは、またそれぞれの名前で、この土地を呼び合っていたのだから。
 人は本当に何かを見ようとするときには、逆説的に、眼を閉じるようにして何かを見るものであるだろう。そんな心眼で眼に見えない痕跡の姿を探ろうとするものだろう。皮膚や、耳や、指先で人は、自分の本当に見たいものを見るはずだ。歴史の痕跡が、土地土地に運命つけられた刻印のようなものであるのなら、僕は、この土地の今は見えていない痕跡の数々が、ふとこの土地を旅をしながら、見えるような気がするときがある。
 それらは写真に写るような種類のものなのだろうか?地図にも記載されていないようなそれらの場所への旅を、僕はどんな風に始めればいいのだろうか?そのとき、僕は一体どんな乗り物にのっているのだろうか?
 東側に広大に口を開けている、グレイシャー湾のイーストアームが見えてくる。セスナで眺めた、あの巨大な氷河たちが待ち受けている土地である。このまま、イーストアームまで足を延ばして旅をしたら、どうなるだろうかと想像してみる。この海原を横切るように進んでいくのは、あまりに危険であるだろう。それならば、セブリー島まで戻って、そこから、イーストアームに侵入するのがいいだろうか?食料はどうだろう?日程は?一つの旅の中には、必ず新しい旅がすでに内包されていて、そのことに忠実に旅をしていったら、人は決してひとつのところに留まることなどありえない。
 勿論、食料のリミットも時間のリミットも、僕自身のリミットも、イーストアームの遠征には今回立ち向かえやしないのは明白である。あと、1日か2日。このまま南へ漕ぎ続けて、文明なる場所に僕は無事に帰りつくのだ。
 
 ああ、明日には、何を文明の地で食べてくれようか。ハンバーガーにでも齧りついてくれようか。勿論、食前には空きっ腹にアラスカンアンバービールを流しこもう。ハンバーガーは、ケチャップとマヨネーズを多めにしてほしいと付け加えよう。それからフレンチフライをサイドに多めに、と。ここはアメリカなのだよ。マイフレンド。
 そしてそして、僕は明日の晩こそは、久しぶりの新しいリネンのベッドで眠るだろう。かすかに湿った寝袋もなし。固い地面に敷くマットレスなら、腹ごしらえに忙しいリスたちにあげてしまおう。かすかな風が起こす物音で、睡眠を妨げられることも、もうロッジのベットではよもやあるまい。
 そんな深い眠りの中で、僕は夢の中、あの蒼い洞窟の中に戻るのだろうか。ひたひたと足下にまで水が浸るのを感じながら、振り返り、引き返そうと思い、また振り返る。
 もっともっと奥の奥の、誰も到達のできない、氷河の最も深い部分では、初めてのそして永遠の一滴が、落ちている。ぽつんぽつんと。絶え間なく。呼吸でもするように。かつて、すべてはそこから始まったに違いない。僕ら生命体は、多分そこからやってきたのではあるまいか。
 日が微かに黄色がかり始める夕方に、ゴートポイントと呼ばれる岬の近くで野営する。今日は、随分と航行距離を延ばしたものである。ここからならば、明後日の午後の満潮の時間を狙って、グレイシャーロッジの港に帰り着けるに違いない。無数のカモメが遊ぶように、向かいの島で浮遊しているのが、見える。
 テントを平らな緑の茂みに設営し終わると、夜に備えて、あたりに転がっている灌木を探して歩く。抱えきれなくなると、設営したテントの傍らに置く。大きな枝を、細かく燃えやすい大きさまで折って、重ねていく。もう一度、よく燃えそうな灌木を探しに、海沿いを歩いていく。腰につけた熊よけのベルが、歩みに合わせてりんりんとなる。

    

(氷河日記 南東アラスカ編 終わり)