8月2日

 グレイシャー湾に唯一ある、滑走路だけの小さな飛行場から、湾内唯一のタクシーにのり(その名もグレイシャーキャブ!)、昨晩は湾内唯一のロッジ(その名もグレイシャーロッジ!)の横のキャンプサイトで眠った。
 森の中に区画されたその場所は、とても気持ちのよい場所である。あたりには、ブルーベリーが未だ熟しきっていない酸っぱい味をつけている。朝起きてすぐに朝食がてらに早速その実を採集して食べ歩く。なんとも贅沢な朝食である。僕は、ブルーベリーの味覚が大好きである。朝一番で口の中にしみわたるその酸っぱさは芳醇である。ブルーベリーの実をつまみながら、森の中をしばらく歩く。やさぐれたおじさんたちの体臭に満ちた昨日までの部屋に比べたら、ここは、どんなに気持ちのよい場所だろうか。

 キャンプ場の南側の森は、すぐに水辺に面している。その水辺はとても穏やかであるが、水は外洋へと繋がる海水である。長い年月をかけて氷河の後退によって形成された氷河湾周辺の入り江に、外洋のうねりは届かない。それが、カヤックで氷河にアプローチできる所以である。
 バックパックの中から折り畳まれたカヤックの部品を取り出して、テント場の近くの水辺に並べる。アルミのポールでできた骨組みをつなぎ合わせ、その骨組みにファイバーグラスの船布を被せていく。被せた船体布の端を、てこの原理でテンションをかけて弛ませれば、竜骨にむけて流線型に美しくしなるカヤックの出来上がりである。ものの30分もかからずに、僕の船の完成してしまうのだ。
 今回の艇は、アルフェークのエルズミア。全長は4m80cm最大幅58cm。組み立てるとその白い船体はなかなかに美しい。スピードにのると、去年乗っていたボイジャー号とは比べ物にならない程に早い。その分、安定性には劣る。けれど慣れてしまえば、大きなカメラを構えての撮影時にも問題はない。3月のアルゼンチン、パタゴニア遠征の際にもこの艇を使用した。なにより、その白い船体が自然の中で映えるのがうれしい。
 
 カヤックで漕ぎだす前に、ここグレイシャー湾州立公園では、パークレンジャーによるレクチャーをうけなくてはならない。ゴミの取り扱いや、野生動物の保護の知識、あたりにたくさん生息している熊に対する十分なリアクションの学習などである。講習は、ビデオを30分見て、そのあと教室の壁に大きく貼られたグレイシャー湾全体の地図でレンジャーから具体的な指示を受ける。「ここのビーチは、現在アザラシが多数、繁殖にあたっているためにクローズしています。」「このエリアには、座頭クジラの死体が数日前に打ち上げられているから、熊やハクトウ鷲、その他の動物が多数跛していて危険です。」「この島とこの小さな島は、熊もいないのでキャンプするには理想の場所でしょう。」「それからこのエリアは現在アホウドリが無数の群れで産卵しているので、近づかないように。」などなど。
 そのあと、レンジャーは僕の旅の計画を登録し、コンピューターに入力していく。僕のカヤックや、荒野でのキャンプの経験。テントや、カヤックの色までを入力していく。それも勿論なにかあった時に、僕をレンジャーが自然の中から探す時の為の情報である。どうか、こんな情報が役に立つ時が来ませんように、そう願わずにはいられません。

 この州立公園内では、安全管理、野生動物への配慮などが本当に徹底されている。今まで旅してきたアラスカのまさに野放しのほかのエリアとはまるで違う。最後にベアーコンテナと呼ばれる、食料を入れるための筒型のプラスチック製の箱を渡されて、レクチャーは無事終了。荒野での食事の保存は、いつ何時もこのベアーコンテナーに入れなくてはいけないのだそうである。公園内では、熊が人間の食べ物を口にすることを最大限さけるように、万が一熊が、食べ物の匂いを嗅ぎ付けて人間の食べ物を発見したとしても、熊が破壊できない強度プラスチックで、このコンテナーはできている。一度、人間の食べ物を食した熊は、その後もたびたび人間の食事目当てで、キャンプ地をうろつく事になるとのこと。考えただけで恐ろしい。 
 そして、テントで就寝時には、このコンテナーをテントから少なくとも20ヤードは離しておくよう、注意を怠ってはいけない。食料の匂いを嗅ぎ付けた熊がテントを襲うことを避けるためにも、それは絶対に必要なことである。そして、他のアラスカの荒野とは違い、グレイシャー州立公園内では、熊は銃により脅されたり、捕獲されたりしていないため、彼らは人間に恐れを全く抱かないとのことである。
 わかってはいたけれど、改めてレクチャーを受けてこの州立公園内で熊が頻出している状況を再確認すると、荒野へ繰り出していく気持ちが、正直とても萎える。自分のテント場に戻り、荷物を出発に向けて整理しながらも、気持ちは塩をふった菜っ葉のように萎れている。ここまで来て引き返す事は、とても困難であるけれど、なんとか出発を遅らせる口実を、見つけようとしている自分がいる。そうだ、やっぱり簡易浄水器の設備が必要ではなかろうか?それからやっぱり予備のパドルは是非とも欲しいであろう。それらは、どうにかしてこのグレイシャーロッジの近くで手に入らないものだろうか?ほら、荒野で必要になったとしても遅いじゃないか。重いしかさばらるし、そんなの全く必要ないよ。いや、絶対あったほうがいい云々かんぬん。
 出発前に、正直みっともないくらいに、じたばたしている自分がいる。知る事は大切なことであるが、それと同時に認識は、とても不安な気持ちを呼び起こす。
 気持ちが浮ついて、思考がうまく定まらなくなっている。こんな時はどうしたら、いいだろう。天気ばかりはとても気持ちのよいカヤック日和であるのにな。昨日上空から眺めた広大な荒野が待っているっていうのにな。
 ひとまず、岬の先の水路伝いに歩いて偵察にむかう。バーレット岬とグレイシャー湾をつなぐ海水の水路は、満潮時の2、3時間だけカヤックで航行できるほど、狭く浅い水路である。その時間を逃してしまえば、水路から潮が引き、次の満潮時まで待たなくては、この港から氷河湾へでていくことはできない。その水路の脇まではグレイシャーロッジからトレイルがのびており、陸から干満による水量を確認できるようになっている。
 ぐずぐずした気持ちをひきづったまま、とぼとぼトレイルが続く岬の先まで歩いていく。案の序、今の時間帯には細い水路が、ちょうどいい具合に、海水で満たされているのが見える。流れの様子や、水量からみてもキャンプ場から、氷河湾へ漕ぎ出していくのには、ばっちりな時間帯であることがわかる。この時間帯を逃してしまったら、次の満潮は夜の8時。そして次は、明日の早朝である。

 自分自身ですべての装備を用意して、自分自身でセスナ機にまで乗って、このグレイシャー湾までようやくやって来たにも関わらず、最後の最後で出航できない自分がいる。これから10日以上、ひとり荒野に繰り出していくことを思う時、そこで待ち構える困難や苦労、恐怖の数々を想像してみると、自分自身で背中をうまく押せない。精一杯、鼓舞させる自分と、駄々っ子のように縮じこまる自分とか拮抗して、勝負がつかない。       目の前の水路の流れは、明らかに「ほろ、今、出発しろ」と僕にささやきかけているように見える。その先には、セスナから眺めた広大な大地が僕を呼んでいる。けれど熊さんも森の奥でこっそり僕のことを待ち受けているに違いない。鳥たちが、ぴーちくぱーちく「あの人一体どうするんだろうねえ。おかしいね。」と、枝に木立にとまりながら、噂しあっていた。
 水辺の岩場に腰をかけて、しばらくぼーっとしているとだんだんに右往左往している自分が、馬鹿馬鹿しく思えてくる。あたりは、とても静かで、厳粛といってもいい静かさに満ち満ちている。木々がそよぎ、その風が僕の背中を撫でる。今ではその風も、僕をせき立てられるようには感じられない。目の前の水路に潮が完全に満ちて、流れが止まる様子を眺め続けていると、完全に流れが止まった水は、澱み、行き場を失い、そしてしばらくすると、今度はゆっくりとゆっくりと引かれるように、また流れ始めた。ただ耳を澄まし、水面を見つめていると、景色の中に同化しているように座っている事が、なんだか気持ちよくなってきてしまう。
 今日は、なんだか座り込む自分自身が、出発しようとする自分に勝ってしまったようである。この静かな森のなかでは、明日だってきっと、今日と同じように用意されているに違いない。潮は、完全に引いていったあと、また徐々に満ち始めて、そしてまたその満ちた水が引いたあと、今度はまた満ち始めるだろう。そして、そのときもまた、目の前と同じように海原への水路が、確実に用意されているに違いない。自然の中で時間は、短針や長針が追い越し合いながら進んでいく訳でなく、ゆっくりゆっくり引いたり押したりしながら、流れているのである。
 今日一日、何もせずに時間を過ごせば、嫌でも明日の朝の満潮時には出発せざるを得ないだろう。だって今日は、脅える自分が完全にストライキしているようなんだ。
 ロッジで釣り竿でも借りて、夕飯の為の獲物でも捕らえようではないか。水底まで澄むあのきれいな水路の近くには、今晩の夕食がゆっくりと泳いでいるかもしれない。