8月6日

 風がテントを揺らしている。朝方まで寝付けなかったせいで、体がだるい。テントから顔を出して、外の様子を伺う。天気は曇り。南風が強く吹き、海面が風で波立っている。また、寝袋の中に潜り込み、少しまどろむ。お腹が減っているのだが、なんだか動く気になれない。昨日の熊との遭遇を何度も反芻するように、思い出してしまう。
 あの黒光りする体。鋼のような爪と、のそのそとした動作と、獣そのものといったその呼吸。立ち上がった時の、あの体躯の巨大さ。野生としかいいようのないその姿の中に、どこか知性と呼ぶべき何かを、僕は感じて恐怖していた。
 昨晩の熊との遭遇はたしかに僕を恐怖させたけれど、思うことはひとつ。あの熊は、全く僕には興味がなかったということである。カレーの強烈な匂いにおびき寄せられていただけで、彼、もしくは彼女は、僕には全く無関心であった。もしも、カレーの入った器をそばにおき、どうぞどうぞ熊さん、カレーを召し上がってくださいなと促したら、僕の横を通り過ぎて、カレーを食べ始める程に、僕には無関心であった。
 熊は、人間を食べる為に襲ったりしないということはよくわかった。つまり、食べ物の管理さえしっかりしていれば、このアラスカの荒野の中で熊からの安全は、それなりに守れるということである。
 僕が熊と初めて遭遇してみて、思う事はそのことである。むやみに恐れて神経過敏になり、そのせいで疲労してはいけない。自然の中でひとり判断力を失ってしまう事の方が怖いのだ。大切なのは、常に食べ物の管理をしっかりとして、熊となるべく真近で遭遇しないことである。
 このアラスカでどれだけの人が、銃を携行して荒野に出ているかは知らないが、彼らの気持ちがわからないでもない。一発で熊を追い払える飛び道具を持つ事は、どんなにか精神安定に役に立つことであろう。狩りでもないのに、銃を荒野に持ち出すというアイデアは、僕にとってはにわかに採用しがたいが、万が一に熊に遭遇した時に熊を追っ払える道具というものは、是非とも持っておきたいものである。例えば、爆竹やら、非常用花火などでいい。熊が驚いて逃げていく何かを携行しているだけで、どんなにか精神的に楽になるだろう。熊にアプローチされてしまったら、笛やベルなんてとても利かないです。はい。

 テントの中でふて寝しているのにも飽きると、昼前にはなんとか寝袋から這い出して、デポした食料を取りにいく。昨晩は疲れていたにも関わらず、とても遠くに食料をデポしていた。やはりとても怖かったのである。
 海岸線に面した見渡しの利くその場所で、湯を沸かしインスタントのお粥と、ゆで卵をほおばり、チョコレートをむさぼりるように食べて、コーヒーを淹れる。やっと、体が暖まり人心地がする。
 対岸の山は、低くたれ込めた雲がかかり、中腹までしか見えない。灰色の雲と海面の間を南から風が吹き付けて、その風が水面にさざ波をたてている。水際に立ってみると膝くらいの波がある。追い風であるし、航行できないこともないだろうが、慎重を要する波である。
 地図によると、ミュイアーポイントと呼ばれる、岬にほど近いこのエリアから入り江が急に細くなり、対岸との距離はいよいよインサイドパッセージの名にふさわしい、フィヨルドの深奥に入っていくことになる。
 辺りを削った氷河は1928年の段階では、僕がいるこの辺まで張り出していたという記録が残っている。後退していったミュイアー氷河の末端は、現在の地図によると、ここから、20マイルほど先である。つまり約80年の間に20マイル。平均して1年間で400mものスピードで(正確な数字かどうかは確認していません)ミュイアー氷河は後退していることになる。そんなスピードで氷河の地形が動いているならば、毎年毎年地図を作成しなくては、旅するための正確な情報を得られはしないし、やはりそのためにもセスナによる上空からの視認は、必要であったと思う。実際に海岸氷河と呼ばれる氷河の末端が海に落ち込んでいる場所は、その後退によって徐々に減っている。カヤックでその壁にアプローチできるような場所も、これからもっと減っていくことであろう。とりわけ、カヤックでその壁を見学できるような小さくて手頃な海岸氷河は、なおさらに海岸部分が消滅していくのが、早いに違いない。つまりこの旅は、入り江の奥に退いていく氷河を追いかける旅である。じんわりじんわり森の奥へ隠れるように退く氷河を、時間を遡行して捕まえる旅なのである。
 そして氷河の舌先を捕まえるこの旅は、必然的に氷河の後退によって新しく生まれた土地を、舞台とすることになるだろう。氷河の後退はこの地球上のどこかで、今までの人が住んでいた土地を奪うとともに、「新しい土地」を生み出しもするだろう。この氷河湾は、地球上に新しく生まれてくる土地なのである。山肌に見える木々の緑も、氷が去った後のむき出しの岩石から少しずつ育って来た、生まれたばかり緑であるといっていい。
 
 ふとタンデムのカヤックが一艘、僕の目指すべき方角からやって来るのが見える。向かい風の中、風上に向かっていく彼らは、とても必死である。規則正しくひと漕ぎもおろそかにすることなく、二人乗りのそのカヤックは、波間をどんどん進んでいく。この風の中をあのスピードで進んでいける二人はきっと、経験豊富なパドラーなのだろう。なんだかそのおそろいのジャケットを着て、競技者といった感じの風情である。
 水辺にいる僕のことなど脇目もふらずに通り過ぎ、どんどん波間の中で小さくなってゆき、ミューアーポイントを曲がって見えなくなる。まるで僕がここにいることなど気づかなかったようである。景色の中にひとりまた取り残される。まさか、今のふたりは、目の錯覚ではあるまいて。いやいやいや。ふと周りの景色がシュールなものに感じられる。また背後の森に、気配を感じて振り返ってしまう。
 彼らに触発されるように、僕も荷物を積み込んで白いエルズミア号に慎重に乗り込み、波間の中に繰り出すことにする。注意を要する波風であるにせよ、なんとなく、陸上でじっとしていられなかった。少なくとも、海に出ている限りにおいては、熊の恐怖のトラウマに苦しむこともないのだから。   
 
 最大限注意を要する、波打ち際の出艇時をなんとかうまくやり過ごし、いつもより、岸辺にほど近い場を選んで、海岸線に沿って進んでいく。手を休めることは許されないほどの波風である。この波間の中で推進力を失ったカヤックはとたんに不安定である。特に、推進性を重視した僕の今回のエルズミアモデルにおいては、進み続ける限りにおいて船は安定しているが、推進力であるパドリングをやめた途端に、船はその安定感を失う。けれど、波の中で腹筋や背筋のバランスだけで船を保っているのには、限りがある。たとえ岸に近くとも、たとえ撮影機材や大切なものを、厳重な防水バッグに収納しているとはいえ、転覆することだけは避けたい。水は、冷たい。一旦、全身をこの水に浸したら、低体温症で体が動かなくなるのは、時間の問題だ。必死に前だけを向いて漕ぎ続けるが、眼の端で必ず陸を確認しておく。
 ミュイアーポイント近くの海岸線から、約1キロほどのところにあるアダムインレットと呼ばれる、入り江を右手にやりすごして、なんとかポイントジョージと呼ばれる所まで漕いでくる。風、波、それらを相手にしながら漕ぎ進めるのは、とても体力を消耗する。5キロ程も進めずに、すでにへとへとになっている。風と波、それらはカヤックにとっての天敵である。組み伏せる敵であるというよりは、なるべくなら戦いを避けるべき敵なのである。
 疲労が困憊してきて、転覆の危険もあるために、上陸する場所を眼の端で探しはじめる。けれどなかなかに岩場が続き、安全に上陸できる手頃なビーチが見つからない。パドルする腕は、波間のハードなパドルですでにぱんぱんである。
 引き潮と追い風が相まって、波は今では四方八方から襲ってくるかのように感じている。今日はテントでゆっくりするべきだったのだろうか、などと後悔したところでもう遅い。地図を取り出す余裕どころか、上陸する場所を探す為に、脇目をふることさえおぼつかない。ただ進むべき一点を見つめて、カヤックを邁進させることに集中させなくてはならない。左右の木製のブレードをきっちりきっちりと海面に差し込んでいく。無駄なく正確に筋力を海面に伝えて、確かな手応えとともに、その海面を削りとるように押し出していく。
 海面は、今では木彫りの彫刻のようにソリッドである。入り江の奥に進むにつれて、引き潮の勢いは増し、引く力と押す風が相まって、波に力が加わっているのだ。
 きわめて真剣にパドルし続けることを強制され続けて、体はくたくたなのだが、僕の意識は妙なテンションである。興奮しながらどこか醒めている。疲労の限界は超えているようなのだが、気を緩めることはゆるされない。
 僕は、その木彫りの波たちを、左右に刃のついたブレードで彫り貫いていく全身彫刻家である。ソリッドな波たちを感性と直感で、正確無比にくり抜いていく彫り師である。できあがる彫刻全体は、問題ではない。その彫刻を俯瞰する視点はいらない。ただひと彫り、今のひと彫りひと彫りこそが大切である。板極道ならぬ、波極道。気の入れ方とは裏腹に、そのうち波の力に腕の筋力が負けてきて、パドルの彫りが少しずつ甘くなってくる。ちょうどカヤックの進路上まっすぐに、上陸できそうな小さなビーチが見える。あそこまで、なんとかあそこまで漕ぎ切ろう。真剣に、腹の底からそのビーチの一点を見つめて進む。
 波と風に翻弄された僕と、白い僕のカヤックはへとへとになりながら、クロッツヒルと名づけられた、丘の手前に開けた小さなビーチに、打ち上げられるように上陸する。上陸する際に、停泊したカヤックが波をうけて水浸しになり、荷物がすっかり濡れてしまう。急な砂浜をひきずるようにカヤックを引き上げて、倒れ込むようにその砂浜に横になる。ああ、陸地のなんとありがたいことか。
 息も絶え絶えに、あたりの様子を確認しにいくことにする。上陸してみると、ここは、こじんまりとしていて感じのよいビーチである。四方に見晴らしはきかないが、背後に小山のような岩場の丘をしたがえて、東側を絶壁に遮断されている。林の奥には、キャンプされた跡も見られて、安心ができる場所である。今日は、もう漕ぎだすことはあり得ない。風が収まるのを待つべきである。つかの間の休息地としては、持ってこいの場所である。
 熊、そして、風と波。陸では、熊をおそれ、海上では、波風と戦う。氷河を撮影するために、僕が最も克服しなくていけない困難は、ふたつともに手強い。ああ、なんとも恐れ多いものたちであるだろう。大切なことは、それらを注意深く避けること。明日も、この風が吹き続けるなら、この無人のビーチに停滞しよう。食事は、今日もテントから離れた絶壁の岩場でこっそりとろう。
 明日は、どんな一日になるだろうか。荒野を旅することに、なんだかとても気が病んでいた。けれど、ひき返すにしては、すでに港から遠く離れすぎていた。兎に角、飯を炊き、その匂いを嗅ぎたい。そして、林の奥で静かにぐっすりと、眠りたい。