8月7日

 夜中に烈しい雨が降っていた。タープに打ちつける雨は、自然の中にいる僕を脅迫でもするかのように、テントの中の僕を脅かし続けた。体は濡れることはないけれど、なんだか溺れているようで寝苦しくて、何度も何度も寝返りをうっていた。
 テントから這い出して、ビーチに立つ。相変わらずの南風が吹き続けていた。波は、昨日と同じくらいの高さがある。雨は止んでいるけれど、昨晩の雨は地面をしっとりと濡らしていた。
 ビーチの東側の岩場の絶壁に、食事をしにいく。クライミングをするように少し上り下りする岩場の陰に、フードコンテナーにつめた食料はおいてある。すこしオーバーハングして庇のようになっているその絶壁の岩場で、調理をして食事をしていると、なんだか原始人のようである。森の中で暮らしていた野生のままの人間たちもきっと、大型肉食動物におびえ、雨風を避けながら、こんな風に岩場でこっそりと暮らしていたに違いない。
 朝食の後に、テントに戻り今日はゆっくりと本でも読んで、風が止むのを待つことにする。待てないこと。それは、現代人の病気の源であるのだろう。ここ自然の中では自然のリズムに合わせて行動することが、何よりも肝心なのである。潮の満ち引きに合わせて、風が止むのをまち、太陽とともに行動すること。そのリズムに自分の方をアジャストしていくのだ。
 せわしなく行動しようとする自分を戒めて、テントの中にしばし、倒れ込む。眼をつむると本当にさまざまな思考が、円を描くように頭の中で回っていた。写真のこと。食事のこと。波や風の心配。熊への恐怖。今回のカヤックの遠征に一人、気が倦んでいた。
 仕方なく午前の時間は、僕が漕ぎ進めているこの入り江に名前がついている、19世紀末のアメリカの冒険家、ジョン・ミュイアーの旅行記を読んで過ごすことにする。
 ミュイアーは、1879年と1880年それから1890年の2回にわたってアラスカの太平洋沿岸を旅している冒険家である。徒歩やカヌーで旅することを好んだミュイアーの名前は、カリフォルニアに有名なジョン・ミュイアー・トレイルという名前を残し、またナチュラリストの先駆者として、評価されることもあるだろう。
 時は、ゴールドラッシュでわき上がる最中。だれもが金鉱目当てにアラスカを目指し、一攫千金を夢見て荒野に分け入っていった時代である。
 旅行記を読むと、けれどミュイアーの興味は、血眼に金脈を探していた時代の中にあって、自然観察や地質学を含む博物学に向けられていることがわかる。とりわけアラスカで彼の興味を著しく引くことになったのは、自然景観そのものを形成する氷河と、氷河を含む壮麗な景色である。彼の氷河への記述を読むと、そこに美しさを通り越した氷河の崇高さといったものへの強い憧れが感じられる。
 1880年、冬も真近なグレイシャー湾に、シアトルから北上してきたジョン・ミュイアーは到達する。そこで彼は百年以上前、イギリスの冒険家であるジョージ・ヴァンクーバーが、グレイシャー湾の南側に到達した時には一面に覆われていた氷河が、著しく後退して新たな自然景観を形成していることに気づく。
 最大で60キロ以上も後退している氷河の末端を発見しながら、入り江の深部で注ぎ込んでいる数々の海岸氷河に、ミュイアーは新たな名前をつけながら探検していく。ゲイキー氷河、レイド氷河、キャロル氷河、グランド氷河。それらは、数日前に僕がセスナから眺めた氷河たちであり、正式に地図にも記載されている名前である。
 ある時は、ガイドとして雇っていた現地の住民であるフーナインディアンたちが、恐れてそれ以上旅しようとはしない場所までも、ミュイアーは氷河の織りなす景観に、取り憑かれるように旅を続けていく。氷河湾のウエストアームを周り、フェアウェザー山脈と氷河の織りなす景観に、心を奪われていく。その景観を十分に堪能した一夜の一節を引用してみる。

 「山から踊るように降りてきて、焚き火の周りをインディアンたちがとり囲む、野営地に戻ってくると、私の気持ちは太陽に照らされた氷河のごとくに、高揚していた。今や、私の旅は最も遠い地点に無事に到達し、そして暗い空はようやくに晴れ渡った。私は、全くに幸せであった。明るい空に星が輝いていて、ああなんて平穏で、希望に満ちた夜なのだろう。そして荘厳な静けさのなかに氷河が砕け、爆音を轟かせることのなんと印象的なことだろう。私は、今晩はどうも眠るには幸せすぎるようである」

 その後、今僕が旅している氷河湾の東側にも、約30キロほど後退した氷河の末端を見つけたミュイアーは、その海岸氷河を自らの名前をとり、ミュイアー氷河と名付ける。今ではミュイアー氷河は当時からさらに50キロ後退し、その後退によってできた深く削られた入り江は、ミュイアーインレットと呼ばれ、僕はそのミュイアー氷河までの中間地点でキャンプをしているというわけである。なんともミュイアーの名を冠した名前ばかりの土地である。
 「私の気持ちは太陽に照らされた氷河のごとくに、高揚していた。 」ミュイアーの自然からインスパイアーされた高揚感に比べたら、僕の今の気分は自然の厳しさを前に、少し意気消沈しがちであるが、僕のこの旅もミュイアーインレットの深部に到達する、あと数日がハイライトになるに違いない。目指すべきマックブリッジ氷河は、あと片道25キロほど。帰路を含めると100キロ強といったところであろうか。なんとか気持ちを前向きに取り戻さなくてはならない。その為にできることは、まずは飯。それから睡眠だけである。
 
 本日の昼食はとっておきのカレーうどん。カレーの匂いは熊との遭遇の後、トラウマであるが、テントなどの装備から遠く離れた、絶壁の「食堂」ならば大丈夫であろう。日本から持参したこのカレーうどんが、なんともおいしい。一昨日の熊に邪魔された、カレーライスの復讐戦をするかのように、その味を堪能しながら昼ご飯を幸せに頂く。
 満足度の高い昼食を済ませたあとは、濡れた衣類や道具をビーチに並べて少しでも乾かす。太陽は、未だ厚い雲の下に覆われている。風は依然、南から吹きつけて海面に無数のさざ波を作り出している。南に面したこの小さなビーチに波が集まってきているのが、ここに立っているとよくわかる。
 キャンプマットを引っ張りだしてきて、曇り空の下、体をほぐすように読書の続きをする。無理にパドルし続けた肩と腕がはっている。午後は、背後にそびえるようにしてあるクロッツヒルという山を探索しにいこうかと考えていると、ふと海上に2艇のカヤックがこちらに向けてパドルして来るのが見える。
 2艇のカヤックは、波と風に翻弄されながらも、吸い寄せられるようにこのビーチに向かって進んできているようである。こうして陸から遠目に規則正しくパドルしているカヤッカーの姿を見ていると、なんだかそれらは態のよいアメンボのようである。自然の中ではなんとか細い存在であるのだろう。この波風の中ここまで漕いでくるのも困難であるに違いない。波と風の方向から、このビーチを越して岬を迂回して入り江を進んでいくのは考え辛い。波が集まるからこそ、ここにビーチが形成されているのだろう。そしてこの先は地図によると等高線の極度に縮まった絶壁が続いていることからしても、きっと彼らもこのビーチに上陸してくるに違いない。
 岩場に登って、双眼鏡で彼女たちを見つめる。するとそのカヤック2艇に乗り込んでいるのは、全員西洋人の女性たちであるのが見える。なんとも元気な人たちであることよ。
 案の定、打ち寄せるように僕の野営しているビーチに上陸した彼女たちは、このビーチの先客である僕にお邪魔してごめんなさい、というように挨拶をしながら、まるで昨日の僕と同じように上陸したのち、ビーチの上へ倒れるようにへたりこむ。
 シングル艇に乗っていたのは、ガイドの役割をしているテッズという女性。ワイルドでいかにも大自然を旅する経験に長けているといった風貌である。身につけているギアから、その経験値が自然と知れてしまう。聞けばその昔、なんと旦那さんと一緒に、バンクーバーからここグレイシャー湾まで一夏をかけて、カヤックで来たことがあるとのこと。ものすごい。距離にして1500キロ。なんだかまるで「宇宙船とカヌー」のジョージ・B・ダイソンみたいじゃないですか。
 タンデム艇に乗っていたのは、テッズに付き添われるようにして、「冒険」にでかけてきたというふたり(名前を忘れてしまった)。年の頃はどう見ても僕より一回りくらい上である。アメリカの女性はちょっと怖いくらいにたくましい。
 たかだか数日だけでも、全く誰とも話をしないと、最初の言葉が口からうまく出てこない。 氷河の写真を撮りに、ここまで来ていること。昨日、熊に遭遇した話。僕の折りたたみ式のカヤックへの質問。ひとしきりいろいろなことを、3人がビーチで遅めのランチをしている間に話す。3人の食事はアメリカ人お得意のオートミールと、エネルギーバーのようなものである。この食事でよく漕げるなあと思ってしまう。
 3人は、時間の都合で今日のこの地点を折り返し地点とし、明日以降ガルフォース島(僕が熊に出会った島)の向かいにあるセブリー島でピックアップボートに乗り込むつもりらしい。グレイシャーロッジでは、カヤッカーの為に毎日午前11時に、セブリー島までピックアップボートを出している。荒野で万が一何かがあったときには、セブリー島まで辿りつけば、カヤックごとボートにのせてグレイシャーロッジまで帰れるという訳である。もちろん、ボートにカヤックごと乗せて帰るのは有料で、料金もそれなりにするが、帰りはそのボートを利用するのも得策だろう。そんな選択肢だけでもだいぶ精神的には楽になるのは確かである。
 明日のボートで帰るつもりの3人は、今日のうちに少しでも南に引き返そうというつもりらしい。風は、夕方をすぎて幾分マシになったようである。潮の流れも南へ向かうのには、理想的な時間である。多少追い風であっても、幅の広い安定した3人のリジット艇ならば、幾分でも距離を稼げるにちがいない。そして日の長い夏のアラスカにおいては、夜も9時くらいまでは漕げる明るさである。
 夕方、南へ向けて帰路につく3人の出航を見届けると、僕はひとり東側の「絶壁食堂」で米を炊く。ひとり米が炊けるのを対岸の山を眺めながら待つ。人と少し話しただけで、萎縮していた気持ちが少し楽になっているのに気づく。僕らは、日常の何気ない会話のなかで、いかに精神のバランスを保っているか。孤独とは、放っておくと床下を食い散らかすシロアリのようであるよのう。マイフレンド。
 今日の晩ご飯も鮭の炊き込みご飯である。持参した大切な動物性タンパク質である、スモークサーモンの切り身も残すところわずか。このサーモンを明日は、確実にパドル筋に変えていこう。
 「絶壁食堂」から見える、向こう岸との間を流れる入り江には、未ださざ波が立っている。けれど、だいぶ風は収まってきたようである。海面自体が穏やかになっている様子が伺える。明日は、早朝の干潮の時間帯に出航して少しでも距離を稼ごう。マックブリッジ氷河までは、あと少しである。ジャックダニエルのクオーター瓶を取り出して、ちびりちびりとやる。暇つぶしに持って来た手風琴を奏でてみる。でたらめな旋律がジャックダニエルの酔いをまわす。空は、雲に覆われて星は見えない。