LENSMAN

それは、写真表現を夢見るずっとずっと以前の幼少の頃のモノを見つめる感覚のことである。それはこの生きている世界とは、このいろいろな物質に囲まれた日々とは一体なんなのだろうという、幼少の頃特有のきわめて根源的で無垢な疑問であり、ふとその疑問とともに周りのモノたちが、見つめることで揺らぎ消え行くような不安であり、そのつど僕は自分の手のひらを見つめていた記憶である。腰掛けた椅子から見える日常のテーブルの縁の傷やら、窓際のレースカーテンのひらめきやら、置かれたテレビのリモコンやらは、見つめれば見つめるほどに、モノたちが自分から遠のいてゆくようで、見つめれば見つめるほどに、それらのモノたち自体が、この世の中そのものの存在自体の不可思議さをあらわしているような感覚であり、僕はそのたびに自分をつなぎ止めるようによく自分の手のひらを眺めていた。一体この世界とはなんなのだろうかと。自分自身を取り囲む物質自体はなんと不思議だろうかと。自分の体そのものもそして生というこの営み自体こそ、一番の謎に満ちた不思議なモノでなかろうか?

見つめる果てにある写真というイメージの定着行為は、僕にとって無意識にそんな幼少の頃の感覚に実は一番支えられていたのかもしれない。


写真集『LENSMAN』 「制作ノートのようなもの ーー あるいはあとがき」より抜粋